日文阅读:いくら元日でも
いくら元日でも、明るく楽しいことばかり考えているわけには行かない。――去年は地球上で実にたくさんの人が生まれ、たくさんの人が死んだと思う。生まれた方は同じだが、、死に方はみな異なっている。今年もたくさんの人が生まれ、たくさんの人が死ぬだろう。そんな思いが、偽らぬ年頭所感としてやって来る。こうしたことは、しかし、どうすることも出来ない。厳然とした事実である。
虽说是元旦,也不能光想一些舒愉快心的事。--去年在这个地球上是实实在在地有很多人出生,又有很多人死去的。出生的方式大体相同,而死去的行状却是千差万别的。今年也会有许多人出生,许多人死去吧。毫无疑问,这就是涌上我心头的新年感想。这种事情是无法改变的。是严酷的事实。
こうした人間交替の思いも、新年だけの特別な物である。平生はこんなわかりきった事実に感慨を託すことはない。私はここ何年か、いつも元日の朝、こんなことを考えている。大勢生まれ、大勢死んでいく。次々に人間は交替し、人間によって作られた時代も交替していくのである。こうした思いがやって来ると、いつも天山の山襞の中の小さい湖、イシククルこの畔に眠っている十九世紀の探険家のことが思い出されて来る。この世の中に、いやに安定した生と死を持った人間も居たものだと思う。その探険家というのは、ロシアの西域探険家プルジェワリスキーである。十九世紀中頃、モンゴル、ロブノ-ル、チベット、ゴビ、青海と、何回もイシククル湖畔の道を通って、天山を超えている。そして彼は湖畔に於いて歿するが、その遺言によって湖岸に葬られている。
这种人类更替的感慨是新年所特有的。平日里,是不会对这样明白无误的事实感慨万千的。我在最近这几年,每逢元旦的早晨,就会想起这样的事情。有许多人出生,又有许多人死去。人类不断地生死更替着,而由人类所创造的时代也在不停地更替向前。这样的念头一出现,我总是要想起一位长眠在天山山坳中的一个小湖--伊西可可儿湖湖畔的,十九世纪的探险家。世上还真有生与死都非常安定的人。那位探险家就是俄罗斯的西域探险家普鲁捷瓦里斯基。在十九世纪中叶,他穿越了蒙古、罗布麻、西藏、戈壁、青海等地,曾多次经伊西可可儿湖湖畔的小道而翻越天山。最后他死在该湖畔,遵照其遗嘱人们将他葬在了湖岸上。
このプルジェワリスキーの場合は生と死とがばらばらにならず、美しいピンで留められている感じである。こうした生と死の結びつき方のできるのは、十九世紀で終わってしまったのかもしれない。現代はみな不本意に生き、不本意に死んでいっているように思われる。
普鲁捷瓦里斯基的生与死完美统一,就象是用一根美丽的别针串在一起似的。这种生与死相协的方式,或许到了十九世纪就结束了。而如今,大家都是不得已而生,不得已而死。
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