欲望の刺激
確かに、欲望の刺激によって生産は高められ、知識の集積によって文化は勧められてきた。われわれはそれを進歩とよぶ。そして、人類の幸福もまた、それにともなって増進されるものと信じてきた。しかし、それに対する懐疑(かいぎ)がしだいに起こりつつある。文化の進歩は幸福をもたらしたが、また予想しなかった悲惨(ひさん)な不幸をも次々と生み出している。進歩とは何か。それにともなう競争社会の出現はこれでよいのか。『老子』は、知を棄(す)てよ、欲を去れ、という。そして、進歩を追うことをやめて、無知無欲の人びとで満たされた静かな平和な世界の実現を夢みたのである。
「才能すぐれた者を尊重する」「商権(しょうけん)」は、もと墨家(ぼくか)の主張である。血縁や縁故にかかわりなく優秀な人才を抜擢(ばつてき)せよという激しい主張であって、儒家その他の学派でもその影響をうけた。戦国時代の諸侯たちもそれに従うようになって、諸子(しょし)百家(ひゃっか)の勃興(ぼつこう)となる。それはまぎれもなく一つの進歩思想である。P24しかし『老子』はそれに対して、民衆の競争心かきたてて世を混乱させるだけだとして反対したのである。「あの知恵者たちも、どうしようもない」というその「知恵者」も、「尚賢」の賢と同じであって、具体的には当時の諸子百家の人びとをさしている。人民がまったく無知無欲になってしまえば、他人の誘惑にのせられることもなく、かれらの小ざかしい知恵も手がかりがなくてどうしようもないというのである。「無為を為す」ということばは第六十三章にもある。その注(一九四ページ)を参照されたい。
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