道は沖
道は沖(むな)しきも(「道」のはたらき(1))
「道」はからっぽで何の役にもたたないようであるが、そのはたらきは無尽(むじん)であって、そのからっぽが何かで満たされたりすることは決してない。満たされていると、それを使い果たせば終わりであって有限だが、からっぽであるからこそ、無限のはたらきが出てくるのだ。それは底知らずの淵(ふち)のように深々としていて、どうやら万物の根源であるらしい。
それは、すべての鋭さをくじいて鈍(にぶ)くし、すべてのもつれを解きほぐし、すべての輝きをおさえやわらげ、すべての塵(ちり)とひとつになる。
それは、たたえた水のように奥深くて、どうやら何かが存在しているらしいP25
わたしは、それが何ものの子であるかを知らないが、万物を生み出した天帝のさらに祖先であるようだ。
道は沖(むな)しきも、これを用うれば或(ま)(又)盈(み)たず。淵(えん)として万物(ばんぶつ)の宗(そう)たるに似たり。
其(そ)の鋭(えい)を挫(くじ)いて、其の光を和(やわら)げて、其の塵(じん)に同ず。
湛(たん)として存する或るに似たり。
吾れ、誰(たれ)の子なるかを知らず、帝の先の象(に)たり。
道沖、而用之或不盈。淵兮似万物之宗。
挫其鋭、解其紛、和其光、同其塵。
湛兮似或存。
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