帛書
帛書(はくしょ)に従った。●「太牢(たいろう)」は牛・豚・羊の三牲がそろった第一級の祭祀(さいし)の供物(くもつ)。ここでは大ごちそう。「春に台に登る」とともに上流社会のぜいたくな歓楽に対する批判がこめられている。●「泊(はく)として」は安静のありさま。●「(るいるい)として」は疲れて元気のないありさま。孔子の放浪中のみじめな姿を「xxとして家を喪(うしな)った犬のようだ」といわれているのも同じ(『史記』)。●「沌沌(とんとん)たり」は渾沌(こんとん)と同じで未分化のはっきりしないありさま、したがって無知で鈍重なこと。「沌」は鈍にも通ずる。「我れは愚人の心なるかな」という、その愚人の心を形容したのである。馬叙倫(ばじょりん)はこの句法を疑問として、上文の「嬰児(えいじ)の未(いま)だ孩(わら)わざるが如し」の上に移して読むべきだとしたが、帛書(はくしょ)でもこの位置にある。●「俗人は昭昭(しょうしょう)、我れは独り昏昏(こんこん)」は、自分の能力を喧伝(けんでん)してひけらかす俗人と、それを包み隠して「和光同塵(わこうどうじん)」(第四章)の暗さに沈む己(おの)れとの対比である。底本では「昏(くら)きが若(ごと)し」となっているが、王弼(おうひつ)本はもとは「昏昏」であったらしい。「悶悶(もんもん)」との対照からして、そのほうがよい。「俗人察察(さつさつ)」は、こまかい吟味(ぎんみ)をして分析にすぐれること、主として耳目にかかわる利口さである。「悶悶」はその反対、「昏昏」と意味が近い。●「澹(たん)」は水のゆれるさま、「飅(りゅう)」は風の吹くさま。「昏昏悶悶」の己れのありさまを、水のゆれと風の動きで形容したのである。●「頑(がん)にして鄙(ひ)なり」の中間「似」の字は、「以」と通じて「而」と同義。帛書(はくしょ)は「以」とあり、「且」となっているテクストもある。●「食母」を「母に食(やしな)われる」と読んだのは海保青陵(かいほせいりょう)の『国字解(こくじかい)』に従ったもの。『老子』のなかでは『母』は根本の始源である。そこに身をまかせ
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