るのであっ て
るのであって、そこでそういう入にこそ天下の政治もまかせられるのだという。ここで一身の尊重をいうのに、第七章などでおのれを放ちすてて「道」と一体になる「無私」を説き、「其(そ)の身を外にする」ことを主張するのと、矛盾するようにみえるが、それは主意のおきどころが違っているだけのことである。ここでは世俗的な価値のためもわが身を犠牲にするような愚行を戒(いまし)めて「身をたいせつに」というのであって、みちろんわが身に執着して我欲(がよく)を張るようなことをすすめているのではない。わが身わが生命が大事だというところには、『老子』の現実主義的な立場がよく出ているが、そこに縛られたのではかえってわが身を失うというのは、【老子』のくりかえして強調するところである。
●「寵愛(ちょうあい)と屈辱(くつじょく)とにびくびくして不安でいる」というのは、宮仕(みやづか)えをして、君主や上官のき
げんをうかがっているありさまを考えれば、わかりやすい。もちろん、それは現代のサラリーマンにも通じるし、世間の評判を気にするわれわれ俗人の立場にもひろげてみることができる。
名誉や財物に心を奪われて立身出世だけを夢みていると、それが大きな害につながる
ことに気がつかない。●大患(たいかん)を貴ぶこと身の若くなわばなり」と、第二句を上の第一句の理由づけとして読んだのは、武内養雄(ふけうちよしょ)博士に従ったのである。ふつうは、「寵(ちょう)と辱(じょく)とにびくびく」と「大きな害になることを身命(いのち)ほどに大事にする」とを並列に考えて、ともに俗人のありかたとするが、文章の流れからすると武内説がまさる。「大患」は文字どおりには大き害である、俗人にはそれが害とはわからいようなものであって、ここでは上の栄辱(えいじょく)と
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