「徒然の森」第67回
私もろくな物を食べていなかったらしいが、幼すぎて戦後の食糧難もあまり大変だったという気がしない。
しかし私は農家の祖母に「お祖母ちゃん、おイモだってご飯になるんだよ」と言ったらしい。祖母はそんな私を不憫がったそうだ。また母があるとき「疎開先の家でおじさんが毎日卵を食べているのを見て、あなたにも卵を食べさせたかった」と言ったことを思い出す。
私自身は「麦ご飯」や「すいとん」、サツマイモやジャガイモを食べていたことや、お米や魚の配給に並んだことも、庭が野菜畑になっていたことも覚えているけれど、幸いおなかが空いてたまらないという記憶はない。
しかしすいとんを食べた我が子たちが「おいしい」と言うのを聞いて違和感がある。当時のすいとんはただお腹をふくらませるだけの物だったから、品質がいいはずはない。おいしいと言えるしろものではない。
サツマイモもそうだ。今は品種改良が進んで甘くおいしいが、当時のサツマイモはとろけるような甘みとは縁遠かった。
当時はともかく、おなかいっぱい食べられればそれで満足だった。空腹を満たすことが最優先した。食べ物でも調味料でも、味は二の次だった。だから初めて本物のバターに出会ったとき、そのおいしさに感激した。初めてのチャーハン。初めてのハンバーグ。小学生時代に経験した様々な食べ物。その1つ1つに強烈な思い出がある。
子供の頃、よほど特別なことがことがなければ食べられなかった「バナナ」。それが今は、1房たった99円などという安値で売られていている。ほとんど見向きもされなくなっているのではないだろうか。時代が変わったのだ。
今はお金さえあれば何でも手に入る。子供たちは生まれたときからさまざまな食べ物に囲まれている。おいしい物をいつでも食べられる時代。何かを食べて感激するなどと言う経験をすることもないだろう。いろいろな思い出がある私は、いい時代に生まれたのだろう。
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