鹿をさして马と为す
さしも栄华をきわめた秦の始皇帝も、寿命には胜てなかった。彼は不老不死の霊薬をもとめてあせりながら、ついに死んだ。遗言では、太子の扶苏を位につけよということだったが、丞相の李斯や、侧近の赵高などは、その言叶をいつわり、幼い胡亥を立てて皇帝にした。なぜなら、扶苏が贤いのにくらべ、胡亥は凡庸であやつりやすかったからだ。これが秦の二世皇帝である。
二世皇帝のもとで、またたくまにのしあがり、秦の実権をにぎったのが、赵高だ。人にいやしまれる。去势者の宦官である。
胡亥というのは、即位のしたてに、
「朕は天下のありとあらゆる快楽をつくして一生をおくりたい。」
こう言ったという人物だ。赵高はほくそ笑んで答えて言うのに、
「まことにけっこうでございます。
そのためには、まず法を厳しく、刑を苛酷にして、法のおそるべきことを知らせるのが第一。
つぎに、先帝以来の旧臣をことごとく除き、陛下のこのむ新人を登用いたせば、これらのものは、陛下のため、身を粉にして政治にはげみましょう。
さすれば陛下は、心を安んじて楽しみにお耽りになれると申すものでございます。」
「なるほど、道理じゃ。」
と、胡亥は答えたという。こうして赵高は、竞争者の李斯も杀し、先帝以来の大臣、将军、それに王子までも杀戮して、丞相にのぼり、実権をおさめた。そしてついに、胡亥にとって代ろうと企むまでになった。
だがそれには、宫廷の连中がまだ胡亥についているか、それとも自分につくかを确かめねばならない。それから、もし自分に従わないと为にならぬぞ、と示す必要もあった。この目的のために、赵高は、まことに奇态なデモンストレーションを考えだしたのである。
彼はある日、二世皇帝に鹿をたてまつり、そして、
「马を献上いたします。」
と言ったものである。二世は笑って、
「丞相はヘンなことをいうぞ。
鹿のことを马だなぞと。
これは鹿かな? 马かな?」
そう言いながら、左右の臣下を见た。顔をふせて、だまっているものもある。赵高におべっかをつかって、马でござる、と言うものも出た。
だが、?いや、鹿でございます?と直言する臣下もまだ何人かいた。胡亥は、わけがわからず、ぼんやりしていた。赵高は目を光らせて、鹿だと言ったものを覚えておいた。そして、そのあとで无実の罪をかぶせて、その人々を杀してしまったのである。赵高の言に反対するものは、以来宫中にはいなくなったという。
といって、赵高にひれふしたのは、全中国ではなかった。かえって、各地に反乱の军がおこる。项羽?刘邦などの面々もあらわれる。こうした混乱のなかで、赵高はじゃまになった胡亥を杀し、扶苏の子子婴をたてて秦王にするが、こんどは自分が子婴に杀されることになるのだ。
この话から、?鹿をさして马と为す?ということばが出た。だからそれは、まちがいを威圧もって押しつけ、人をばかにすることや、人をごまかして理を非とし、非を理として押し通すことを意味する。
ところで、おなじみの?马鹿?ということばも、ここから出たという説もある。なるほど、という気もする。それに、马鹿(バロク)ということばはたしかにあって、おろかという意味をもっているのだ。
「胡亥は诗书も読めず、圣贤の言も远ざけられていた。それどころか、赵高のような宦官に、残酷な政治术をしこまれた。だから、天下の人はみな愚かというのでもなかったが、胡亥のほうは马と鹿のけじめもつかないことになったのだ。?
というところから、马鹿(バロク)という。まあ、胡亥には限らない、その臣下のなかにも、该当者がそろっていそうだから、バカの出典をここにもってきたくなるのは人情だろう。
しかし、この点どうもはっきりしていない。もとは梵语だという説があって、バカの由来するところ、さらに古くなるようなのだ。つまり、梵语で Maha または Mahallaka というのは无知のことだが、これが慕何となり、さらに马鹿の字をあてがわれたのだという。この説のほうが有力だ。まあ、由来の判然としないのも、バカの语にはふさわしいかもしれないが。
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