狡兔死して良狗烹らる
楚の覇王、项羽がほろびて、天下は汉に帰した。汉王、刘邦が帝位について、汉の高祖となった。その翌年(汉高祖の六年)のことである。诏がおもおもしく诸侯にくだされた。
「朕は、これより云梦湖(湖北省陆県)に游幸する。
汝ら、随行すべく楚の陈(河南省淮阳県付近)に集合せよ。」
これには理由がある。当时、韩信が楚王に封ぜられていたが、その韩信のもとに、项羽の勇将であった锺离バツがいた。かつての戦闘で、锺离バツのためにしばしば苦しめられた高祖は、彼を憎むことはなはだしく、その逮捕を韩信に命じたのだが、以前から锺离バツと亲しかった韩信はその命をきかず、かえって彼をかくまっていたのだ。このことを知って、「韩信には谋叛の意がある」と上书したものがあったので、高祖は陈平の策略にしたがって、游幸を口実にして诸侯の军を招集したのである。
事态がこうなると、韩信は本気で叛旗をひるがえそうかと考えてみたが、「自分には何も罪状がない」とまた思いかえして、进んで拝谒しようとした。しかし、ノコノコ出ていくと、捕缚されそうで、どうも不安である。そうしたある日、こざかしい家臣が韩信にささやいた。
「锺离バツの首をもって拝谒なさいましたら、陛下もお喜びになられ、わが君におかれましても忧虑すべき事态がなくなりましょう。」
もっともだと思って、韩信はその由を锺离バツに告げた。すると锺离バツは、
「高祖が楚を袭撃しないのは、君のところに仆がいるからだ。
それなのに君が仆を杀して高祖に媚态を示すようなことをすれば、君もたちまちやられるぜ。
君としたことが情けないことを考えたものだ。
仆は君を见そこなったよ。
よし、仆は死んでやるさ。
君なんか、とても、人の长たる器じゃないよ。」
と骂って、みずから首を刎ねてしまった。その首をもって、韩信は陈におもむいたのだが、はたして谋反人として捕缚されてしまった。韩信は口惜しがった。
「ああ、狡兔死して良狗烹られ、高鸟尽きて良弓蔵れ、敌国败れて谋臣ほろぶ、といわれるが、まったくその通りだ。
天下が平定されて、おそるべき敌が迹をたったいま、狡い兔が狩り尽されると忠実な猟犬が主人に烹て食われるように、さんざん汉に尽くした自分が、こんどは高祖に毙されるんだ。」
ところで、高祖は韩信を杀さなかった。しかし、楚王から淮阴侯に左迁したので、これ以降、韩信は淮阴侯とよばれるのである。
この话は、「史记」の「淮阴侯列伝」にある。「うさぎ」は「兔」が正しい。「兎」は俗字である。同一の列伝のなかに、斉のカイ通が韩信を説いた言叶として、越王?句践にたいする忠臣の范蠡を例にあげて、「野獣すでに尽きて猟狗烹らる」とあるが、同义の异语である。
「呉越春秋」には、「狡兔」を「郊兔」と记してある。「狡兔」という语は、よく使用される语で、「戦国策」にも东郭逡を「海内の狡兔」
と记している。
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