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合従連衡

来源: 2017-12-12 15:46

  蘇秦は張儀とともに戦国時代中葉の中国全土を三寸の舌と二本の足をもってかきまわした大策士であり大山師である。三寸の舌とはけたはずれの能弁、二本の足とは相手どり、歩きまわった国が当時のいわゆる七国(燕?斉?趙?韓?魏?楚?秦)にわたったことを意味する。

  この二人は鬼谷先生(百般の知識に通じ、占卜をもやり、鬼谷子なる著を残している謎の人物)を師とした同門である。

  鬼谷先生の住まっている処は、洛陽から十五里ほど東南の鬼谷という山の中であった。蘇秦はここで長い修業を積んで山を下った。ここで何を学び、ここを下ってどこへ行き、何をしたか、後世の私たちには皆目わからないのだが、とにかく蘇秦はあちらこちらと放浪したあげく、或る日ひょっこりと洛陽にある自分の家へもどって来た。歴史書はこれから後の蘇秦の行動については詳しい。

  貧相ななりをして戸口に立った蘇秦に対し、妻は織っていた機の台から下りなかったし、嫂は食事も出してくれなかった。そして、売れもしないおしゃべりなどを売りあるくんだから苦しむのも当たり前だといって相手にしなかった。

  家にとどまること約一年、蘇秦はふたたび家をとび出し、周の王を訪れたが相手にされなかった。次に秦の国をたずねたがやはり相手にされなかった。趙の国へ行ったがそこでも無駄足、そこで遠く最北端の燕の国へ出かけ、弁舌をふるった。ここでは彼の弁舌が功を奏し、車馬金帛の贈り物を受けた。蘇秦が燕王に進言した政策を『合従」という。

  「従に合わさる」という意味で、燕と趙と斉と魏と韓と楚が縦(従)に、つまり南北に手をにぎり合って強国の秦にあたろうというのである。これらの六国は当時急激に強大となりつつあった秦の国を極度に恐れていた。蘇秦はこの恐怖心をうまくあやつり、もしこの際、六国が手をにぎり合わず、孤立していれば、それぞれ秦に打ちほろぼされてしまう。ぜひ合従して共同防衛しなければならぬ。そのまとめ役を自分がしようと申し出たわけだ。

  燕王から合従の成就をまかされると、次に趙を訪ね、今度は大成功、車馬百乗に白璧や黄金や錦刺繍を合従の準備費用として与えられた。

  韓、魏、斉、楚の順で廻り歩いた蘇秦は、みごと王たちを口説きおとし、六国の宰相となりおおせ、合従の盟主としてまつり上げられるに至った。

  南の楚から趙へ帰る途次、蘇秦は洛陽を通った。その時の彼の行列、車馬輜重は優に王侯に匹敵し、洛陽を都とする周王も使いに出迎えさせる豪勢さ。兄弟も妻と嫂も、今は蘇秦をまともに見ることができない。

  食事の給仕をするにも顔を俯したまま。蘇秦は嫂にきいた。

  「以前、私がここへ戻って来た時には、食事も出してくださらなかったのに、ずいぶんな変りようですが、これは一体どういう理由ですか?」と、嫂は頭を大地にすりつけて、

  「あなたの位がこんなに高くおなりになり、あなたがこんなにお金持ちになられたのを見れば、誰だった自然にこうなりますわ。」

  蘇秦は位と金がこうも人間を変らせ、かつまた、自分にもし僅かの田畑でもあったならば、一生それで満足し、今日の富貴をかちとり得なかったであろう事を慨嘆して、親族朋友に千金を散じ与えたのであった。

  蘇秦が趙に滞在中、張儀がだしぬけに訪ねて来た。兄弟弟子である蘇秦が宰相になっているときき、取り立てて貰おうと思ったからである。

  蘇秦はこの張儀に六日目にやっと面会を許したばかりでなく、自分は堂上に、張儀は堂下にすわらせ、下僕に与えるにも等しい食事をあてがって追いかえした。張儀は歯がみして口惜しがった。そして今に見ていれとばかり、その足で秦に向かった。ところがその旅につきまとい、絶えず張儀の世話を見た人物がいる。旅宿の費用はもちろん、秦に仕官するためには衣服も必要であろう、車馬も必要であろう、と世話をして、秦の国へおくりとどけてくれた。当時はこれは大物になりそうだと見込んだ浪人に親切をつくし、将来の役に立てようとする商人が珍しくなかったから、多分そのたぐいであろうと張儀は思っていた。

  その商人は張儀が秦に入京し、客卿に取り上げられるのを見とどけると、張儀に別れの挨拶に来た。張儀は自分からなんの代償も要求しない商人を不思議に思って、わけをたずねると、商人は、

  「これはすべて蘇秦様のおはからいです。あなたを発憤させて秦に向かわせ、無事、秦に仕官できなさるようにと考えられたのです。秦は蘇秦様の合従の策には邪魔者です。その邪魔者の手足を封じる役目をあなたにやっていただきたいのです。」すると張儀は。

  「自分は蘇秦殿の術中にありながら、それを悟りえなかった大変なうつけ者だ。このうつけ者がどうして蘇秦様の邪魔などできましょう。蘇秦様に告げたまえ、蘇秦様が存命中はこの張儀、どうして口はばったいことができましょう、何ができましょう、とな。」

  さて、張儀は秦にとどまって才腕を認められ、客卿から宰相へと出世する。彼は「連衡」の策を取った。つまり、六国のどこかと同盟を結んで合従を破り、六国をばらばらに孤立させ、孤立した国々を各個に撃破ないし威圧して、秦に対し臣下の礼を取らせ、やがて併呑するという策である。秦とどこかとの同盟を結ぶのは、六国とは「合従」に対して「衡(東西)に連なる」かたちとなるので、「合従」に対して「連衡」というのである。張儀は後に蘇秦の成就した合従を完全に崩しさった。

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