肝胆相照らす
肝胆相照らすとは、互いに心の中を打ち明けて隔意無いことを示し合うことを言い、「柳子厚墓誌銘」に韓愈が書いている。
韓愈は厳しい現実主義者の眼を、彼が尊重する友情の世界にも注いでいたらしい。李観や孟郊の様な良き友人を多くもっていた彼は、軽薄な交際を憎んだ。
似て非なる友情の本質を見極め、その信ずべからざる事を永遠の名文で書き残している。おそらく、生涯に幾度と無く出会った不遇時代に真の友情と然るべからざるものを区別する能力を身に付けたのであろう。?柳子厚墓誌銘?で次のように述べている。
「嗚呼、人は困った時にこそ、初めて本当の節義が見られるものだ。
普段、無事に村や街に住んでいる時には、懐かしがり悦び合い、酒食や遊びに呼んだり呼ばれたりして、大きな事を言ったり無理に笑い話をしたり、お互いに譲り合い、手を取り合って肝肺を出して相示し、太陽を指し涙を流して誓いをたて、生きるも死ぬも背かないと言えば?如何にも本当らしいが、一旦髪の毛一筋ほどの利害関係が生じれば?今度は眼を背けて知り合いでも無いような顔をしている。落とし穴に落ち込んでも、一度でも手を引いて救ってやろうとしないばかりか、かえって相手を突き落として、上から石を投げるような真似をする者が世間いたる所に居るのである。」
こう見ると肝胆相照らすという言葉はその発生に於いて、既に虚偽の響きと、裏切りの要素をも内包している。本物の肝胆相照らす如き友情は、希有であるだけに、ますます高き価値がある。
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