跼 蹐
跼蹐とは、"跼天蹐地"の意で、頭が天にふれることを恐れて"天に対して跼り(背をかがめ)"地が凹むことを恐れて"地に対して蹐する"
こと、すなわち、びくびく恐れおののいて身のおきどころもない、といった状態を形容する場合に用いる。六朝時代の宋の范曄の著した「後漢書」の「秦彭伝」に、
――姦吏跼蹐して、詐を容るる所なし。
(公式な秦彭を迎えたため、不徳義な役人共はちぢみ上がり、不公平の運用する余地がなくなった。)という用例がある。
また、"跼天蹐地"の方には、六朝の梁の武帝の長子昭明太子の編んだ「文選」に収められている、張衡の「東京賦」に、
――豈徒らに高天に跼り、厚地に蹐するのみならんや。
(どうしてこの高い空の下で背をかがめ、ガッチリと厚い大地の上でぬきあしする程度だろうか、それどころか、もっと恐れおののいているのだ。)
という句が見える。
この跼蹐という言葉は、「詩経」の中の「小雅」という、周の朝廷の賀歌を収録した篇にある、「正月」という詩中の句で、そこでは
天を蓋し高しと謂えども、
あえて跼らずんばあらず。
地を蓋し厚しと謂えども、
敢て蹐せずんばあらず。
維れ斯の言を号ばう、
倫あり脊あり。
哀しむらくは今の人、
なんすれぞキ蜴なる。
大空は高いけど、
背をかがめ行くべかり。
大地はも厚けれど、
ぬきあしし行くべかり。
いまここにかく言うは、
ことわけのあればこそ。
哀しきは今人の、むしのごと毒もてる。
とあって、奸臣が国政を乱し、義の士が"高天に跼り厚地に蹐して"
禍いに遭わぬよう恐れおののいている、という意味に用いている。
最近の調査によれば、今日の日本のホワイトカラー族は、案外政治に積極的な関心を抱いているようであるが、このひとびとがかつての"青白きインテリ"のように、官憲を恐れて跼蹐する社会の来ぬよう、「正月」の作詞者とともに衷心から願わずにはいられない。
なお「誰か鳥の雌雄を知らん」という言葉も、この「正月」の中の句で、他の句が「詩経」通例の四語なのに、この句だけは字余りで六語になっている。奸臣が権力を握っているため、王が故老や卜官に何を問うても、真実を答えるはずがないから、"誰か鳥の雌雄を知らん"すなわち、誰に奸臣?義臣の区別ができようか、と義の士の嘆きを訴えた言葉である。
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