左 袒
漢の高祖?劉邦が没した後、皇后であった呂皇后が天下の権を握り、呂氏一族を宮廷の要職につけ、また、つぎつぎに王侯に封じたので、呂氏が劉氏をしのいで全盛をきわめた。そうした状況を、劉氏一族や高祖の遺臣たち――周勃?陳平?灌嬰らはにがにがしく思っていたが、どうにも手のくだしようがなかった。
ところが、少帝弘四年の三月、呂太后が病気にかかり、七月には枕もあがらぬ状態になった。彼女は死病の床のなかで一族の将来を案じて、趙王の呂祿、呂王の呂産を上将軍に任じ、北軍を呂祿に、南軍を呂産に掌握させた。そして、二人を枕頭によびよせた。
「高祖が天下を定められたさい、その重臣たちと、『劉氏にあらずして王たらば、天下ともにこれを撃て』と盟約されました。
ところが、いま、そなたたちがそうであるように、呂氏は、それぞれ王侯に封ぜられています。
劉氏一族や高祖の遺臣たちは、このことが不満なのです。
私が死んだら、彼らは、おそらく変事を惹きおこすでしょう。
ですから、そなたたちは、かならず兵権を掌握し、宮中を衛ることに専念しなさい。
そのためには、私の葬儀にも参列する必要はありません。」
かたく戒めて、まもなく呂太后は死んだ。するとそれまで酒色に溺れているかのように見せかけていた右丞相?陳平は、ただちに本来の姿にたちかえり、太尉の周勃と計って呂氏打倒の策をめぐらした。たまたま曲集好?レキ商の子のレキ寄が呂祿と親しかったのに着目して、二人はレキ寄をやって呂祿に説かせた。
「いま、呂太后が崩じて、皇帝は幼少であります。
このさい、諸王はそれぞれの封地をしっかりと統治して、皇室の藩屏としての実をあげることが急務であります。
もちろん、賢明なあなたは、趙に帰らねばならぬとお考えのことでしょう。
ですが、北軍の上将軍としての任務をも併せ考えられて、躊躇なさっているのでしょう。
皇帝は、太尉の周勃に北軍をゆだねて、あなたが趙におもむかれることを希望しておられます。
ですから、安心して帰国なされたらいかがですか?」
呂祿はウカウカとこの言を聞いて、上将軍の印綬を返上し、北軍を周勃にわたしてしまった。周勃は北軍の兵を集めて告げた。
「漢室は、元来、劉氏を宗としている。
しかるに、おこがましくも呂氏は劉氏をおさえて実権を握っている。
これは漢室の不幸であり、また天下の痛恨事である。
いま、上将軍は劉氏に忠誠を捧げて、天下を正常にかえそうと思う。
諸兵諸君!
呂氏につくそうと思うものは右袒せよ。
上将軍とともに、劉氏につくそうと思うものは左袒せよ。」
これを聞いて、全軍ことごとく左袒し、劉氏のためにすることを誓った。
一方、呂産も朱虚侯?章に誅せられ、天下はまた劉氏に帰したのである。
この話は、?史記?の?呂后本紀?にある。?右袒?とは、右肩を肌ぬぐこと、?左袒?とは左肩を肌ぬぐこと、この故事から、?左袒?は、味方すること、同意することを意味するようになった。
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