三寸の舌を以て百万の師より彊し
時は戦国時代である。西の雄国秦の侵略の前に、東方の諸国が知恵のかぎり、力のかぎりを尽してなんとか生き残ろうと必死にあがいていたころの話である。ここ趙国は秦軍に囲まれ、王の一族に平原君のような天下に聞えた知恵者もいたが、秦の昭襄王の雲霞のごとき大軍を支えかねて、首都邯鄲の城の運命もきわまらんとしていた。とにかく鼠一匹が銭刀三十枚の値を呼んでいるくらい食糧事情は急迫していたし、唯一の打開策は、他国の援兵を得ることができるか否かにかかっていたのだった。もちろん、諸国に救援を求めてはいたが、書簡などでのまどろっこしい手段ではたいした効果は期待できず、どこからも反響はなかった。
滅亡寸前の状態にある趙を救うために、兵を動かしてもし失敗でもすれば、強秦の鉾先は今度はわが身に向けられることはわかりきっている。
この生存競争の激しい世の中に溺れかかった他人を救うために、たいして水泳に自身もないのに逆巻く波のなかに身をおどらすような真似をする者がどこにあろう。
かくて、最後には平原君自身で楚王を説くことになる。常日頃平原君とあまり面白くない関係にある趙の孝成王の顔は、さすがに暗かった。
「趙国の運命のかかっている使者だ、頼む。」
平原君は三千人とうわさされる食客のうちから、二十人を選りすぐって出発するつもりだったが、この大任にふさわしい人物となると、十九人まではわけなく揃ったが、二十人目ではたと行き詰った。考えあぐんでいるところへも毛遂という食客がやってきて、
「ぜひ自分を!」
と、自薦するのである。別にこれといった取柄もなく、ごく目立たない男だったから、平原君も驚いた。
「あなたはわたしのところへ来て、何年たちますか。」
「三年になります。」
「賢士が世にある時は、あたかも錐がふくろのなかにあるようなもので、すぐに鋭い先をあらわします。
先生は三年もおいでになるのに、人の噂にひとつものぼらない。
たいした才能がないということになりはしませんか。」
「ふくろのなかに入れてさえくださっていたら、柄まで突き出ていたでしょう。」(?嚢中の錐?)
こうして二十人の数に加わった毛遂を、みんなは目顔であざけるが、毛遂には自信がある。道中で議論をふっかけてみて、論破されたのは十九人の方だった。
楚の考烈王と平原君との趙楚同盟の交渉は難航した。
「先生、ひとつ頼みます。」
と、十九人が毛遂をうながした。たちまち毛遂は、階段を駆上がる、手は剣のつかにかかっていた。
「朝から半日もかかって、まだ決らないとはなにごとですか。」
考烈王が叱りつけても、ひるまばこそ、
「王がお叱りになるのは、楚国の大兵力を背後に持つからでしょう。
しかし、御覧ください、王と私の間にはわずかに十歩の距離があるだけです。
大兵力もお役にはたちませぬ。
私の手にお命は握られている。
それに楚ほどの大国が、むざむざ秦国の下風に立とうなどとはおかしな話。
合従をお薦めするのは楚のためですぞ。」
「……君のいう通りだ。
国を挙げて君の意見に従おう。」
「盟約の決意がおつきになりましたか。」
「そうだ。」
「では、鶏と犬と馬の血をここへ。」
やがて、楚の従者の手でそれらの品がととのえられる。
「まず王から血をおすすりください。
次はわが君、それから遂がいただきます。」
式がとどこおりなく終ると、毛遂は左手に銅盤を持ち、右手で十九人をさしまねいた。
「いっしょに血を堂下ですすりなさい。
諸侯みたいな人たちを、碌々として他人のおかげで手柄をたてる者というのですよ。」
かくて、趙国は亡国の危機を切り抜けたのであるが、人を見る明を誇っていた平原君もこんどばかりは兜をぬいで、
「毛先生ばかりには、すっかり失礼をいたしましたわい。
先生は一度楚に使いしただけで、趙の国威を九鼎大呂より重くしました。
毛先生は、三寸の舌をもって百万の師より彊し、というべきでしょうな。
以後はみだりに人を評価せぬようにしましょう。」
賢人平原君の、これは反省の言葉である。
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