歯牙に懸くるに足らず
秦の二世皇帝の元年、キ県(安徽省宿県)の大沢郷に、陳勝?呉広らが農民軍を率いて叛旗を翻し、西進してたちまちのうちに陳(河南省淮陽)に入城し、国号を張楚と言い、陳勝は王と称した。
その報せを聞いた二世皇帝は、博士たちをあつめて対策をはかった。
博士たち三十余名はみな、陳勝らを叛逆者であると言い、ただちに兵を発してこれを討つべしと主張した。すると二世皇帝は、顔に不快の色をあらわした。農民兵の蜂起を、自分に対する叛逆であると言われたことが二世皇帝の自尊心を傷つけたのであった。そのとき、叔孫通が進み出て言った。叔孫通は薛(山東省膝県)の人で、文学をもって秦に召され、かりに博士たちのあいだに置かれて秦王の諮問に応じていたのである。
「博士たちの言はまちがっております。
今や天下は統一され、郡県はみな兵備を廃しております。
しかも上英明なる陛下のもと、法令は下にゆきわたり、人々みな職に安んじて心を秦によせております。
叛逆する者などのあらわれようはずはありません。
彼はただ盗賊のたぐいで、問題とするにたりません。
(これ特に群盗鼠竊狗盗なるのみ、何ぞこれを歯牙の間に置くに足らん)
今に郡で捕えて処断するでしょう。
案じるほどのことではありません。」
二世皇帝はその言葉に満足し、叔孫通に帛二十疋、衣一襲を下賜し、博士にとりたてた。そして陳勝らを叛逆者と見なす者らを皆処罰した。
しかし農民軍は盗賊のたぐいではなく、明らかに秦に叛旗を翻したものであった。叔孫通があえてこれを盗賊であると言ったのは、二世皇帝に迎合するためではなく、無事に秦を逃れんためのたくらみであった。
かれはすでに秦を見限っていたのである。間もなくかれは故郷の薛に逃れた。薛はすでに楚の項梁に降っていて、叔孫通は項梁に事えた。その後、項梁の甥?項羽と漢の劉邦とが天下を争い、漢の五年、劉邦がついに項羽をほろぼして天下を統一し、即位して漢の高祖となった。
叔孫通はこれよりさき、劉邦が楚の都彭城(江蘇省銅山県)に入城したとき(漢の二年)、劉邦に降り、のち高祖の儒臣として漢の諸制度の制定に力をつくした。 (?史記?叔孫通伝)
さて、はじめのことばの、?歯牙?とは歯と牙、つまり、ことばの端、口の端の意味である。従って?歯牙の間に置く?あるいは?歯牙に懸く?とは、事を論ずること。その反対の「歯牙の間に置くに足らず」あるいは「歯牙に懸くるに足らず」とは、とりたてて言うほどのことではない、という意味になる。
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