自家薬籠中のもの
唐朝第三代の高宗が死亡し、その子中宗が立ったが、その母の武氏は自分の子の中宗を帝位から引きずり下ろして、中宗の弟の睿宗を立てたが、間もなくさらにその位を奪って帝位につき、国号を周と改めた。これが則天武后である。
そのころ狄仁傑という名宰相がいた。能吏の誉れ高く、民に敬愛されていた。
武后は実子を廃して自ら帝位についたため、武氏の一族には、この際女帝を籠絡し、あわよくば武后から帝位を譲ってもらい、皇帝になろうという不遜な考えを持つ者が現われはじめた。驚いた狄仁傑は、張柬之とともに、面をおかして武后をいさめた。
「御実子の中宗がおいで遊ばすにもかかわらず、他人に位をお譲りになることは天意に反しますし、それでは宗室の万全を期し得ません。
太宗皇帝が千軍万馬の苦労をなされたのも、ひとえに御子孫の長久を願われたためです。
いまこれを他族に移すとは何ごとですか。
陛下は一体、自分のお子と、姑や姪と、どちらを大切におぼしめすのですか?」
これには、さすがの武后も反論のしようもなく、ついにはこの動きは封じられてしまった。
武后は女ながらも帝位につくぐらいの男まさりだっただけに、才色兼備、知能俊敏、思慮も深く、その裁断は明快で、よく名臣の言をきいたため、政治は概ね巧くいった。これには狄仁傑の力が大きくあずかっていたことはもちろんのことだ。それだけに武后も、仁傑には?国老?の称号を与え、狄が死んだと聞くと、声を上げて嘆き悲しんだという。
仁傑は多くの人材をひき立て武后に推薦して用いさせ、その数は姚元崇ら数十人に及んだ。みな仁傑を尊敬してその門に集った。ある人がいった。
「天下の明果珍宝がみんなあなたの家にありますね。」
仁傑はいった。
「賢臣を君にすすめるのは国のためです。
私情からではありません。」
この仁傑が重用した人の一人に、元行沖という、博学で万事に通じている人材がいた。その行沖があるとき仁傑にいった。
「あなたの門には珍味がたくさんありますから、食べ過ぎて腹をこわさないよう、私のような薬の粉末みたいな人物も加えて下さい。」
仁傑は笑って答えた。
「とんでもない。
君は私の薬籠中の物だ。(吾が薬籠中の物なり)一日もなくてはかなわない大切な人物だよ。」
この話は?唐書?の?狄仁傑伝?にのっている。
やがて武后も八十三歳となり、よる年波には勝てず病気になった。中宗はこの機をとらえ、武后に譲位を強要、則天大聖の称号と引きかえに位をゆずらせた。ここに周は十五年にして終り、世は再び唐となった。
だがこれは狄仁傑が死んだのちの出来事である
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