天高く馬肥ゆ
むかし中国(中原)は、しばしば匈奴(ツンヌ)という北方民族に辺境を侵され、あるいは本土に侵入して荒らされ、歴代の王朝は、その防戦に悩まされ通しだった。
この匈奴は、蒙古民族あるいはトルコ族の一派といわれ、殷の初めごろに興り晉の初めごろ亡びたそうだが、ともかく周から秦?漢?六朝と、約二千年にわたって中国の悩みの種となった剽悍な民族。秦の始皇帝のように、遠くこれを討ち払い、その侵入を防ぐため、万里の長城を築いた帝もあれば、漢のように美人をその首領(単于という)に贈って、懐柔しなければならなかった弱腰王朝などさまざまである
匈奴は乗馬と騎射が大得意、いつも集団を作って風のように襲いかかり、矢の雨を降らせて人馬を殺傷し、財物をかすめては、再び風のように去って行くのが常だった。
彼らの住居は、中国本土の北に広がる広大な草原。放牧と狩猟が主な日常だった。こんな大草原の唯一の交通機関は馬だ。女でも子供でも、自分の足の一部のような気持で馬に乗るし、それができなければ、あらゆる用が足せない生活でもあった。
春から夏にかけ、一面の草原で、腹一ぱい草を食べた馬は、秋になるころは丸々と肥えている。やがて草は枯れ、草原には厳しい冬がやって来る。十月に入れば、日中でも零度を越すことはまれで、もう放牧はできない。匈奴は、えさを求めてうろつく狼や狐などを追って蕭条たる草原を走り廻る。家畜がねらわれることもたびたびである。零下何十度の酷寒と、厳しい風雪に堪える幾月がある。肥えていた馬も、この冬の間は、自分の身体を食って、生き延びねばならない。春になるころは、馬もゲッソリとやせ衰える。春から夏にかけての蓄積がなければ、馬は飢えと寒さで、参ってしまうほかはない。
草は枯れ、馬は肥えた。草原はカチンカチンに凍った。秋の空はあくまで高い。冬の来る前、草原には、しばらく晴天が続く。冬のカテを求め、匈奴たちは朔北の風に乗って、暖かい南の本土に押し寄せる。肥えた馬にまたがり、よく整備された弓矢を携え、匈奴は走り来り、走り去る。だから、秋になると北方に住む中国人は恐れた。
「また、あの匈奴が攻めて来る。
防戦の準備はよいか……。」
辺境を警戒する兵士たちは、城塞に入って弓のツルを張り替え、ヤジリや剣を磨き、見張りを一層厳重にする。カッカッという馬蹄の音が、つなみのように押し寄せる日ももう近い。
『漢書』の?匈奴伝?にいう、
「匈奴秋に至る。馬肥え弓勁し。即ち塞に入る。」と。
杜甫の祖父、唐の杜審言は、匈奴に備えた辺塞に出で立って征友人の蘇味道に一篇の五言排律を贈り、
「雲浄くして妖星落ち、秋高うして塞馬肥えたり」
とうたった。この《塞馬》は、漢軍側の塞の馬を指している。
一般には、「天高く馬肥ゆ」とか「肥馬秋天にいななく」とかいわれている。これはむしろ、秋になって食欲が進み、肥えるという意味の方が強いようだが、もともとは、いまのべたような事情からだ。
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