年々歳々花相似たり
初唐の頃の詩人劉廷芝は、詩を作ろうとして苦吟していた。
「今年花落ちて顔色改まり、明年花開くとき復た誰か在る」
という句を得たが、あんまり縁起のいい句ではなかったので捨てようとした。しかるに更に頭を捻っている内に、こんどは、
「年々歳々花相似たり、歳々年々人同じからず」
という句を得た。《ふむ、この句があるなら前の句も並用して活きてくるわい》 というわけで、この二つの区を中心にして作り上げたのが有名な、「白頭を悲しむ翁に代わる」と題する下の詩である。
洛陽城東桃李の花
飛び来たり飛び去って誰が家にか落つる
洛陽の女児顔色を惜しみ
行く行く落花に逢って長く嘆息す
今年花落ちて顔色改まり
明年花開くとき復た誰か在る
己に見る松柏の摧かれて薪と為り
更に聞く桑田の変じて海と成るを
古人復た洛城の東に無し
今人復た対す落花の風
年々歳々花相似たり
歳々年々人同じからず
言を寄す全盛の紅顔子
応に憐れむべし半死の白頭翁
ここらあたり洛陽の城東は今春の初めで、桃や李の花盛り、その花びらが、風のまにまに、どこかの家へ散ってゆく。道を行きながら、洛陽の女が、散り落ちる花を眺めて、ホゥッと深い溜め息をもらしたが、年とともに衰えてゆく容色をいとおしんでのことであろう。考えてみれば、今年こうやって花が散り落ちれば、それだけ私達も容色が衰えてゆく理であって、来年再び花開くとき、今年この花を見た人々のうち、誰が生き残っていることだろう? 古人は、「墓標にと植えてあった松や柏のような常緑樹さえも、いつしか薪に伐られ摧かれ、墓所のありかも解らなくなってしまった」と嘆いているし(漢代の作、古詩十九首中の句)、更に、「かつては桑田であったところが、いつしか海となり、海となったところが、いつしかまた桑田となり、僅かな間に三度も変わった」(晉?葛洪作「神仙伝」)
という嘆声も聞いているが、まことに、常住不変のものは何もないのだ。現に、洛陽城東でこの桃や李の花を楽しんでいたであろう古人は、今はもう誰もいず、ただ、今の人たちばかりが?古人と同じように、花を散らすこの風に対しているだけなのである。年々歳々花を見る人の方は替わってしまう。―――そこで、今を盛りの紅顔の少年諸君よ、その髪は諸君と同じように紅顔の少年であったこの人、今や死期も間近いこの白頭の翁は?まことにお気の毒ではないか、諸君はそうは思わないだろうか?)
と、老いの哀しみと人生のうつろいやすさを嘆いている。ところがこの詩は劉廷芝の作ではなく、その舅の宗之問の作であるという説があって、それにはこんな話がある。
「年々歳々花相似たり云々」の句を廷芝が作って、まだ誰にも見せていないことを知った舅の宗之門は、この句にすっかり感じ入っていたので、密かに廷芝にこの句を譲ってもらいたいと申し込んだ。廷芝は舅のことであるし、一度やむなくこの申し出を承知したが、しかし結局は譲ろうとしなかった。宗之問は恥を掻いた上、約束を破られたというのでカンカンに憤って、ついに廷芝を土嚢でもって圧殺してしまった。
(?唐才子伝?)
というのである。
この説は何処まで信憑性があるか疑わしいが、昔からこの名詞句にまつわる一つのエピソードとして見るならば興味がある。なお宗之問作とされるものは、第三句「洛陽」が「幽閠」、第四句「行く行く見る」が「坐して見る」など、数カ所に亘って字句の異同がある。
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