満を持す
周の敬王の二十四年、呉王闔廬は越王勾践と戦い、スイ李に大敗し戦死した闔廬の子夫差は、夜な夜な薪の上に臥して父の遺恨を新たにして復讐を誓い、ひたすら兵を訓練して機の熟するのを待った。越王勾践はそれを知ると、機先を制して呉を討とうとした。その時、越の名臣范蠡は勾践を諫めた。
「兵は凶器であり、戦いは逆徳であり、争いは末時であると言います。
好んで凶器を取り、逆徳を行ない、末時に手を出すことは、天の許さぬところです。
天道に逆らって成功するはずはありません。」
しかし、勾践は聞かず遂に兵を起こした。呉王夫差は好機到れりと直ちに、この時を待って訓練を重ねた精鋭を発して越軍を迎え撃ち、夫椒山にこれを大破した。勾践は敗残兵を率いて敗走し、漸く会稽山に逃れたが、忽ち越軍に包囲され、もはや降伏するか玉砕するかのほかなかった。勾践は諫めを聞かなかったことを悔いながら范蠡に計った。
「まさにお前の言った通りであった。
今は一体どうしたら良かろう?
その時范蠡の言った言葉が、「満を持す」である。
「満を持する者には、天の助けがあります。
傾けるを定める者には、人の助けがあります。
事を節する者には、地の助けがあります。
今後は、この天と人と地の助けを得るように努めなければなりません。
今はただ、辞を卑くし礼を厚くして和を請うことです。
その為には、王自ら呉の臣下と為られることも、またやむを得ないことでありましょう。」
勾践はその言葉に従って呉王に降り、その後は、かつて呉王夫差が薪の上に臥して復習の心を研ぎ澄ましたように、肝を嘗めてはその苦さに会稽の恥を思い返し、范蠡の助けの元にひたすら国力の充実に努め、満を持すること二十二年、遂に呉を亡ぼして天下に覇を唱えた。
「満を持す」とは弓を引き絞ったまま矢を放たない形。大いに発動しようとして心を漲らせつつ、勢いを蓄えている状態を言う。
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