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日本文化の特質

来源: 2017-12-13 09:49

 民族を他民族と比較するとき、地理的な境界線として大きな問題となるのは、対馬海峡である。古代には、日本と朝鮮のあいだには深い関係があり、ある時期には同一文化圏に属していたが、今日、両者の文化は異質である。対馬海峡の線をこえて、九州、西日本から、日本の北の果てまで浸透し、大陸ではすでになくなったものが日本に残っている例があると同時に、朝鮮半島の南端までやってきても、ついに海峡をこえて日本に入らなかったものが、歴史的に数多くある。

  朝鮮で生活用具として使われる角(つの)は、日本では使用されたことがない。皮袋の形をした土器は、朝鮮人の生活の中に深く入っているが、日本では古墳時代に見られるだけで、以後はまったくない。中国および朝鮮で使われる鍵―それは主婦のシンボルである―も、対馬海峡をこえることはなく、日本における主婦のシンボルはおしゃもじである。さらに、キリスト教や儒教が朝鮮人の生活の中に深く入っているのに較べると、日本人の中には、それは根をおろしていない。儒教は、江戸時代の少数の武士の生活の中には入ってきたが、一般の民衆、とくに農民には、儒教的な倫理や世界観の影響はほとんど見られないのである。

  日本に入らなかった制度の顕著な例は、宦官(かんがん)制度である。中国から西ヨーロッパにわたり、ユーラシア大陸にひろまった宦官制度―牧畜民族の雄を去勢する知識にもとづく―は、朝鮮まで伝わったが、ついに日本には入らなかった。

ら沖縄、日本、朝鮮にわたる、いわゆるモンスーン地帯として知られる温暖湿潤の地域である。この地帯の住民に共通する特質は、稲作技術を基礎とした一連の生活技術、およびそれにともなう稲に関する農耕儀礼、そしれ森羅万象に生命現象を意識するアニミズム的観念である。しかし、同時に同じモンスーン文化圏においても、さきに触れた対馬海峡の線に注目しなければならない。

  考古学の上から、南朝鮮と西日本は、弥生時代から古墳時代にかけて、ほとんど一つの文化圏として類別される。にも拘らず、今日、朝鮮民族と日本民族のあいだに一線がひかれるようになったのは、それ以前の日本の縄文時代人の文化の伝統、ならびにそれ以後の歴史時代の条件のちがいが大きく関与したためであろう。したがって、日本文化の特質を考える第一の手がかりは、生活の基盤としての日本の農業、および農民の生活を、今日の文化の特質との関連において考えることである。

  第二の手がかりは、日本が歴史時代に入って千数百年のあいだ、日本民族は、日本列島のなかで同質の文化を育ててきた、という事実である。日本は、長期間、侵略や征服にあうことなく、ぬくぬくと育ち、外の文化には敏感でたちまちそれを摂取したが、日本文化には封鎖的な安定性があった。日本人は、民族としても、その文化においてもエンドガマスでありながら、外の文化を急速に取り入れるという、一見矛盾した特徴を持つ。日本の民族としての生命力、若さが保たれたのも、そのゆえであろう。しかし、同時に、エンドガマスな社会であるため、多弁の必要がなく、論理学や修辞学が発達しないという特徴を持った。

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