照葉樹林帯の固有信仰
東南アジアの山地民、すなわち照葉樹林帯に住んでいる諸民族の現在の信仰形態の特徴が、昔からそのままひきつがれたのか、彼らが稲作を受け入れたとき、インドかどこか他の地方に始まる信仰がいっしょに入り込んできたのか、または両者がまざりあったのか、たしかめることはむつかしい。しかしたとえば、クメール族のばあいは稲の神と先祖の神は、同じ宗教儀礼のなかに混合している。タイ族の場合は、祖先神と土地神との境がかわらない。そして日本のばあいは、稲の神、祖先神、土地神の習合のプロセスがもっとも進んでいる。
また、日本の古代人の信仰のなかにふくまれるシャーマニズムが、しばしば北方起源―シベリアから朝鮮半島を通って―で説かれる問題についていえば、東南アジアの諸民族にもシャーマニズムは多く存在する。日本のシャーマニズムを、北方系と一概にいうことはできない。
「解説」
日本の文化のもっとも古い層は、どこに求められるだろうか。五人の学者たちは、それを縄文文化に想定し、それぞれの専門とする分野から、この時代の日本列島に住んでいた人びとの生活の模相を、可能なかぎり推定しようと試みた。このシンポジウムにおける参加者の共同の前提は、"照葉樹林帯"という植生による気候区分を設定し、縄文文化をその環境によって発達した文化、と捉えることである。したがって、この文化は日本から西南にむかってつながり、類縁を持つことが想定される。
このような論議が、日本人の注目を浴びるのは、日本人を起源がしんに明らかでなく、しかし考古学的には、日本列島の上には一万年以前にさかのぼる土器を持つ古い文化が、ほとんど独自のように―大陸の文化との関係を解明することができないまま―発展していることが認められるからである。
また、従来、日本の農耕は弥生時代の稲作とともにはじまる、と一般に考えられていた。このシンポジウムの学者たちは、稲作に先立って、縄文時代の中期にはすでに「半栽培」の状態があり、その末期には焼畑農耕があり、それはヒマラヤ南面の山地から東へ延びている照葉樹林帯の文化の一形態であった、と想定する。そのような段階があったゆえに、稲作の伝播とともに急速にそれは受容され、発展したのである。
なお、中尾佐助「栽培植物と農耕の起源」は、世界的に農耕の起源を論じたものだが、その一章として照葉樹林文化が説かれている。
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