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『庶民の発見』

来源: 2017-12-13 09:51

 「金が欲しくてやる仕事だが、いい仕事ではない。冬、川の中でやる仕事は泣くにも泣けないほど辛い。子供は石工にしたくない。しかし、私は一生この仕事でくらす積りだ。知らぬ土地をあるいて、何でもない田の岸などに、見事な石の積み方をしてあるのを見ると、心を打たれることがある。自分もけっしてくずれないいい仕事をしよう、と思う。よい仕事をしておくと、たのしい。親方の請負仕事で、経費の関係で手を抜くこともあるが、そんな仕事をしたあとは、雨が降ったとき崩れはせぬか、と夜も眠れぬことがある。前の者がわるい仕事をしておくと、あとからやるものもついザツな仕事をするものだ。いい仕事をしておけば、雨の降った晩でも、オレのやった仕事は少々の水では崩れぬという自信でやすらかに眠れるし、あとから来て仕事をするものも、きっとその気持ちをうけついでくれるものだ。」

 
  石工たちの話は平凡だが、この人たちは彼らなりにひとつの人生観を持っていた。こういう気持ちが世の中を押しすすめているのだ、と私は思った。「いい仕事をしてひとに賞められた時ほどうれしいものはない。しかし、賞められなくても、いい仕事はしたいもあのだ」とも彼らは言った。
 
  誰に命令されたのでもなく、彼らは自分の仕事をつうじて、自ら自分に命令することのできる尊さを学んでいた。権威のまえには素直でも、権力には屈しない。もっともおそろしいのは権威であり真理であることを、彼らは無意識の中に持っている。そして、それらの総合が目の前にある「かたちのある文化」なのだと思う。
 
  私の故郷の、瀬戸内海の大島の家には、音戸の漁師がよくやってくる。食料の足りなかった戦後、はじめアナゴを持ってきて、イモとかえてくれ、、とやってきた。家にもなかったので、親戚(しんせき)にたのみ安く分けてやった。それから親しくなった。私が、手漕ぎの船では漁も少なかろうから、金をためてモーターにしなさい、とすすめたとき、彼は「稼ぎが少なくて……」と言っていた。海に魚の減ったことが大きな痛手だった。あるとき、また、「久しく米を食べていないので、少しくれないか」と、カゴの中にアナゴとハゼをもって来た。あとで見ると、ハゼは*尾を切ってあった。エサにするためのものなのだ。かえすのも何か心にかかるので、息子にミソ·ショウユなどの食料をさらに持たせ、夜は風呂をわかしておくからはいりに来い、と言わせた。しかし、漁師は来なかった。雨になった夜を船の中で寝たことだろう。
 
  それから久しく経ち、突然彼がやってきてたくさんアナゴをおいていった。お礼に来たのだ、と食料を取ろうとしなかったが、米やイモをあげた。「じつはモーターにしまして……」と、彼は言った。私がいっしょに浜に出ると、新しい船がそこに着いていて、船には漁師の妻がにこやかに乗っていた。彼はその船を私に見せたかったのだろう。船はエンジンをかけて沖に出ていった。私はこんな漁師の働いてくれている海を心からなつかしく思っている。
 
  「解説」
 
  本書は、一九五○年代の後半から一九六○年にかけて発表された論稿を中心に収録したもので、八章からなる前半の四章は著者が見聞きし接してきた庶民たちの生き方について書いたものが集められている。ここでの論点は、「日本の農山漁村は昔から貧しく、人々はその貧しさの中で精いっぱい生きて来たし、と同時に貧(ひん)をそれほど苦にしなかった。それは彼らなりに困難を克服して生きて来、またそれをわかりあう仲間が周囲にいたからだ」ということである。これに対して第五章以下では、そのような生活をうちたてるために、人々はどのような考え方を持ち、次の世代をどのように教育したか、また次の世代がどのようにうちつぎ発展させて来たかということについて述べられている。
 
  さきの農民、石工たち、そして漁師の話には、長いあいだくりかえされてきた貧しさとのたたかいにやぶれることなく強く生きてきた民衆の姿が浮彫りにされている。人が人を信じあえる平和を前提として、貧しい村に生まれた人々は自分の生活を、また自分の村を少しでもよくしようとする。そういった民衆の中にある生きるためのエネルギーとその生き方を著者は発見した。
 
  著者は、日本の民俗学の先駆者である柳田国男、渋沢敬三に触発され、一九四○年から三十年以上、日本中の農山漁村をくまなくあるき、その見聞きと調査を記録しつづけるとともに、とくに貧しい山村や離島の開発の相談役として力を尽くした。
 
  そのように民衆を愛し民衆をよく知っている著者が、今日の日本人に忘れ去られている、あるいは気づかれていない日本の民衆の姿について、本書で教示している点は多い。
 
  第二次大戦後、日本人が精神的にも物質的にも荒廃した状態から立ち直り高度成長を遂げて来た原動力は、貧しい中で生活を少しでもよくしようとするこのような村人たち、そして踏まれても踏まれてもそれにたえて成長しようとする雑草のような根づよさを持つ村人たちのエネルギーそのものであったことを、本書は語っている。
 

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