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日语阅读:友情について(一)

来源: 2017-12-19 09:46

  人生において友情ほど大切なものはなく、友人ほど尊くありがたいものはありません。このことをわたしは、おざなりな軽い気持ちでいっているのではないのです。軽い気持ちでいうなら、人生において恋愛ほど大切なものはないともいえるでしょうし、夫婦の愛ほど大切なものはないともいえるでしょうし、親子の情についても、あるいはまた仕事?勉強?健康等々、いろいろなものについて、人生においてこれほど大切なものはないといえるでしょう。これら一つ一つのものが、それぞれ人生において最も大切なものだということは、必ずしも間違っているわけではありませんが、十分に考えられた上での判断だとは思えません。むろん、人生を形成しているさまざまな大切な要素を比較して、そのうちのどれがいちばん大切かといったことを議論しても、あまり意味のないことでしょう。どれもが大切なのです。にもかかわらずわたしたはは人生のさまざまな要素を考えた上で、友情ほど大切なものはない、といいたいのです。一つには、それがわたしの人生でのあまりにも確かな体験で、友人の存在を何よりもありがたいことと日ごろ思っているからですし、一つにはまた、理屈で考えてみても、友情は、あらゆる人間関係の中で最も恒常的なもの、永続的なものであり、恋人?夫婦?親子?兄弟姉妹、あるいは職場その他での交際といったいろいろの関係の中でも維持されるべき基本的なものだからです。

  わたしたちの人生は、結局のところさまざまな人間関係にほかなりませんが、いろいろな関係の中で、友情は特に人間的な関係です。家族のつながりや恋人総合の関係にもそれぞれ深いものがあるにしても、そういったものの中には、ある意味で動物的な要素、自然的?本能的な要素があります。これに反して友情は、人間特有の、人間でなければ持つことのできないものです。人間は社会的動物であるといわれますが、単に多数の者が集まって共同生活をすることが社会的であるとするならば、それは必ずしも人間特有のものではないでしょう。家族も社会も、それが人間を人間たらしめるものであるためには、友情を根底にしているものでなげればならないと思われます。恋人は恋人であって同時に友人である、夫婦は夫婦であって同時に友人である、親子兄弟は親子兄弟であって同時に友人である、こういった恋人?夫婦?親子兄弟こそ、理想的な恋人?夫婦?親子兄弟ではないでしょうか。

  友情がこのように人生において最も大切なものであり、すべての人間関係を成り立たせる基礎的なものであるのは、それが最も人間的な関係、本能的な欲望や打算的な利害に動かされることの最も少ない関係だからであり、心と心との親密な触れ合い、言葉では言い表せない深い共感、他のものを目的にしない純粋な信頼の気持ちだからです。友人といっても、むろんいろいろの種類があり、親しさの程度もさまざまです。しかし、ここでわたしが述べているのは、本当の友達、真の友情で結ばれた親しい友達のことです。本当に理解し合うことのできる、信頼し含うことのできる友達、そういう友達をわたしたちは常に求めています。そういう友達はそうたくさん必要ではありませんし、また実際問題としてそうたくさんはできないでしょう。

  しかし、少数でもよい、一人でも二人でもよい、もしそういう友達を見いだすことができれば、それはわたしたちの人生の最大の宝、生きていく上での最も大きなカと喜びを与えてくれるにちがいありません。

  本当の友達は、多くの場合、若いときからの年来の友人、学校時代あるいは二十歳前後のいわゆる青春時代からの友人です。大人になってから、殊に三十歳を過ぎてから、心からの親友を見いだすことは、ないことはないでしょうが、なかなか困難なことです。わたしの場合でも、親友の大部分は学生時代からの友人です。だから学生時代に、あるいは二十歳前後の若いときによい友人を発見することは極めて大事なことですが、なぜ若いときの友人が一生の友人になることが多く、それに比べて大人になってからでは親友ができにくいか、このことを考えてみると、友情とは何かがかなりはっきりしてくると思います。

  その人の存在だけでこちらが慰められ励まされるような友達、生涯続いて変わらない美しい友情、こういったものが若いときに作られることが多いということは、そういう若い時代には各自が素直に人生に直面しており、したがって素直な自己をさらけ出して生きているので、心と心が素直に触れ合うことが多いからでしょう。言い換えれば、青春の時代にあっては、打算的?功利的な考えで人と交際することが、大人の社会に比べて少ないからでしょう。

  一口に友人といっても、その種類や程度はさまざまだと前に申しましたが、世間には単に利害関係だけで結ばれている友人関係や、利害関係だけでなくてもごく表面的な関係だけで交際している人を友人と呼んでいる場合が、たいへん多いのです。利害関係だけで結ばれているならば、その利害関係の変化によって、今まで親友のように交際していた人どうしがたちまちかたきのようになってしまうこともあるでしょう。それは決して友達とはいえません。また単に表面的なこと、例えばクラスが同じだとか、趣味が似ているとか、職場が一つだとかということで友人になっている場合があっても、それはそれでよいでしょうが、これだけでは生涯の友人にはなれません。なぜなら、本当の友情とは心と心の触れ合いですから、表面的なことだけでは成立せず、互いの真実をぶつげ合う素直な気持ちが必要だからです。

  大人になってからは親友ができにくく、若いときにこそ真の友情を見つけることができるのは、自己の真実を裸のままで示す素直な気持ちを若い人々は持っているのに、大人になるといろいろなカラが出来てしまって、自己を開き示すことが少なくなるからでしょう。ということは、友情の成立に必要なのは、必ずしも若さということではなくて、人生に対する真実な気持ちを開き示し、また、他人のそのような気持ちを受け入れる心の素直さです。言い換えれば、人生に対する真実な気持ち、自分自身に対する城実さ、これなくしては友情は得られず、逆にまた、これさえあれば若くても若くなくても真の友情を得ることができるにちがいありません。友情における相互の信頼というものは、人生に立ち向かうこの真実さを相互に認め合うことですから、性格や意見がどのように違っても、外的な環境がどのように違っても、そういった相違を超えて成立するものですし、これは相互の生き方の最も深いところでの信頼ですから、生涯変わることなく続くのです。

  こういう信頼は、当然、相手に対する尊敬を伴います。人生に対する真実真剣な態度ほど尊敬すべきものはないのですから、信頼が尊敬を生むのは当然です。信頼を持って人に接すれば、わたしたちはそこに自分の持っていないさまざまな長所を発見し、それを尊敬し、そこから学び、それによって励まされます。逆にまた、そのような信頼を友人から寄せられるならば、それに勝る大きな慰めと励ましはないでしょう。なぜなら、人生への真実という点での信頼は、心の最も深いところでの信頼であり、他の何ものによっても動かされることのないものだからです。人がなんといおうとも、世間がどんなに目分を誤解しようとも、友人だけは分かってくれていると思うことができるのは、なんというありがたいことでしょうか。(終) 人生において友情ほど大切なものはなく、友人ほど尊くありがたいものはありません。このことをわたしは、おざなりな軽い気持ちでいっているのではないのです。軽い気持ちでいうなら、人生において恋愛ほど大切なものはないともいえるでしょうし、夫婦の愛ほど大切なものはないともいえるでしょうし、親子の情についても、あるいはまた仕事?勉強?健康等々、いろいろなものについて、人生においてこれほど大切なものはないといえるでしょう。これら一つ一つのものが、それぞれ人生において最も大切なものだということは、必ずしも間違っているわけではありませんが、十分に考えられた上での判断だとは思えません。むろん、人生を形成しているさまざまな大切な要素を比較して、そのうちのどれがいちばん大切かといったことを議論しても、あまり意味のないことでしょう。どれもが大切なのです。にもかかわらずわたしたはは人生のさまざまな要素を考えた上で、友情ほど大切なものはない、といいたいのです。一つには、それがわたしの人生でのあまりにも確かな体験で、友人の存在を何よりもありがたいことと日ごろ思っているからですし、一つにはまた、理屈で考えてみても、友情は、あらゆる人間関係の中で最も恒常的なもの、永続的なものであり、恋人?夫婦?親子?兄弟姉妹、あるいは職場その他での交際といったいろいろの関係の中でも維持されるべき基本的なものだからです。

  わたしたちの人生は、結局のところさまざまな人間関係にほかなりませんが、いろいろな関係の中で、友情は特に人間的な関係です。家族のつながりや恋人総合の関係にもそれぞれ深いものがあるにしても、そういったものの中には、ある意味で動物的な要素、自然的?本能的な要素があります。これに反して友情は、人間特有の、人間でなければ持つことのできないものです。人間は社会的動物であるといわれますが、単に多数の者が集まって共同生活をすることが社会的であるとするならば、それは必ずしも人間特有のものではないでしょう。家族も社会も、それが人間を人間たらしめるものであるためには、友情を根底にしているものでなげればならないと思われます。恋人は恋人であって同時に友人である、夫婦は夫婦であって同時に友人である、親子兄弟は親子兄弟であって同時に友人である、こういった恋人?夫婦?親子兄弟こそ、理想的な恋人?夫婦?親子兄弟ではないでしょうか。

  友情がこのように人生において最も大切なものであり、すべての人間関係を成り立たせる基礎的なものであるのは、それが最も人間的な関係、本能的な欲望や打算的な利害に動かされることの最も少ない関係だからであり、心と心との親密な触れ合い、言葉では言い表せない深い共感、他のものを目的にしない純粋な信頼の気持ちだからです。友人といっても、むろんいろいろの種類があり、親しさの程度もさまざまです。しかし、ここでわたしが述べているのは、本当の友達、真の友情で結ばれた親しい友達のことです。本当に理解し合うことのできる、信頼し含うことのできる友達、そういう友達をわたしたちは常に求めています。そういう友達はそうたくさん必要ではありませんし、また実際問題としてそうたくさんはできないでしょう。

  しかし、少数でもよい、一人でも二人でもよい、もしそういう友達を見いだすことができれば、それはわたしたちの人生の最大の宝、生きていく上での最も大きなカと喜びを与えてくれるにちがいありません。

  本当の友達は、多くの場合、若いときからの年来の友人、学校時代あるいは二十歳前後のいわゆる青春時代からの友人です。大人になってから、殊に三十歳を過ぎてから、心からの親友を見いだすことは、ないことはないでしょうが、なかなか困難なことです。わたしの場合でも、親友の大部分は学生時代からの友人です。だから学生時代に、あるいは二十歳前後の若いときによい友人を発見することは極めて大事なことですが、なぜ若いときの友人が一生の友人になることが多く、それに比べて大人になってからでは親友ができにくいか、このことを考えてみると、友情とは何かがかなりはっきりしてくると思います。

  その人の存在だけでこちらが慰められ励まされるような友達、生涯続いて変わらない美しい友情、こういったものが若いときに作られることが多いということは、そういう若い時代には各自が素直に人生に直面しており、したがって素直な自己をさらけ出して生きているので、心と心が素直に触れ合うことが多いからでしょう。言い換えれば、青春の時代にあっては、打算的?功利的な考えで人と交際することが、大人の社会に比べて少ないからでしょう。

  一口に友人といっても、その種類や程度はさまざまだと前に申しましたが、世間には単に利害関係だけで結ばれている友人関係や、利害関係だけでなくてもごく表面的な関係だけで交際している人を友人と呼んでいる場合が、たいへん多いのです。利害関係だけで結ばれているならば、その利害関係の変化によって、今まで親友のように交際していた人どうしがたちまちかたきのようになってしまうこともあるでしょう。それは決して友達とはいえません。また単に表面的なこと、例えばクラスが同じだとか、趣味が似ているとか、職場が一つだとかということで友人になっている場合があっても、それはそれでよいでしょうが、これだけでは生涯の友人にはなれません。なぜなら、本当の友情とは心と心の触れ合いですから、表面的なことだけでは成立せず、互いの真実をぶつげ合う素直な気持ちが必要だからです。

  大人になってからは親友ができにくく、若いときにこそ真の友情を見つけることができるのは、自己の真実を裸のままで示す素直な気持ちを若い人々は持っているのに、大人になるといろいろなカラが出来てしまって、自己を開き示すことが少なくなるからでしょう。ということは、友情の成立に必要なのは、必ずしも若さということではなくて、人生に対する真実な気持ちを開き示し、また、他人のそのような気持ちを受け入れる心の素直さです。言い換えれば、人生に対する真実な気持ち、自分自身に対する城実さ、これなくしては友情は得られず、逆にまた、これさえあれば若くても若くなくても真の友情を得ることができるにちがいありません。友情における相互の信頼というものは、人生に立ち向かうこの真実さを相互に認め合うことですから、性格や意見がどのように違っても、外的な環境がどのように違っても、そういった相違を超えて成立するものですし、これは相互の生き方の最も深いところでの信頼ですから、生涯変わることなく続くのです。

  こういう信頼は、当然、相手に対する尊敬を伴います。人生に対する真実真剣な態度ほど尊敬すべきものはないのですから、信頼が尊敬を生むのは当然です。信頼を持って人に接すれば、わたしたちはそこに自分の持っていないさまざまな長所を発見し、それを尊敬し、そこから学び、それによって励まされます。逆にまた、そのような信頼を友人から寄せられるならば、それに勝る大きな慰めと励ましはないでしょう。なぜなら、人生への真実という点での信頼は、心の最も深いところでの信頼であり、他の何ものによっても動かされることのないものだからです。人がなんといおうとも、世間がどんなに目分を誤解しようとも、友人だけは分かってくれていると思うことができるのは、なんというありがたいことでしょうか。(終)

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