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挪威的森林(中日对照)(四)

来源: 2018-01-04 14:53

「どうかな、そういうのって考え方次第だからね。煩わしいことは結構あるといえばある。規則はうるさいし、下らない奴が威張ってるし、同居人は朝の六時半にラジオ体操を始めるしね。でもそういうのはどこにいったって同じだと思えば、とりたてて気にはならない。ここで暮らすしかないんだと思えば、それなりに暮せる。そういうことだよ」

  「そうね」と言って彼女は肯き、しばらく何かに思いをめぐらせているようだった。そして珍しいものでものぞきこむみたいに僕の目をじっと見た。よく見ると彼女の目はどきりとするくらい深くすきとおっていた。彼女がそんなすきとおった目をしていることに僕はそれまで気がつかなかった。考えてみれば直子の目をじっと見るような機会もなかったのだ。二人きりで歩くのも初めてだし、こんなに長く話をするのも初めてだった。

  「寮か何かに入るつもりなの?」と僕は訊いてみた。

  「ううん、そうじゃないのよ」と直子は言った。「ただ私、ちょっと考えてたのよ。共同生活をするのってどんなだろうって。そしてそれはつまり……」、直子は唇を噛みながら適当な言葉なり表現を探していたが、結局それはみつからなかったようだった。彼女はため息をついて目を伏せた。「よくわからないわ、いいのよ」

  それが会話の終りだった。直子は再び東に向って歩きはじめ、僕はその少しうしろを歩いた。 直子と会ったのは殆んど一年ぶりだった。一年のあいだに直子は見違えるほどやせていた。特徴的だったふっくらとした頬の肉もあらかた落ち、首筋もすっかり細くなっていたが、やせたといっても骨ばっているとか不健康とかいった印象はまるでなかった。彼女のやせ方はとても自然でもの静かに見えた。まるでどこか狭くて細長い場所にそっと身を隠しているうちに体が勝手に細くなってしまったんだという風だった。そして直子は僕がそれまで考えていたよりずっと綺麗だった。僕はそれについて直子に何か言おうとしたが、どう表現すればいいのかわからなかったので結局は何も言わなかった。

  我々は何かの目的があってここに来たわけではなかった。僕と直子は中央線の電車の中で偶然出会った。彼女は一人で映画でも見ようかと思って出てきたところで、僕は神田の本屋に行くところだった。べつにどちらもたいした用事があるわけではなかった。降りましょうよと直子が言って、我々は電車を降りた。それがたまたま四ツ谷駅だったというだけのことなのだ。もっとも二人きりになってしまうと我々には話しあうべき話題なんてとくに何もなかった。直子がどうして電車を降りようと言いだしたのか、僕には全然理解できなかった。話題なんてそもそもの最初からないのだ。

  駅の外に出ると、彼女はどこに行くとも言わずにさっさと歩きはじめた。僕は仕方なくそのあとを追うように歩いた。直子と僕のあいだには常に一メートルほどの距離があいていた。もちろんその距離を詰めようと思えば詰めることもできたのだが、なんとなく気おくれがしてそれができなかった。僕は直子の一メートルほどうしろを、彼女の背中とまっすぐな黒い髪を見ながら歩いた。彼女は茶色の大きな髪どめをつけていて、横を向くと小さな白い耳が見えた。時々直子はうしろを振り向いて僕に話しかけた。うまく答えられることもあれば、どう答えればいいのか見当もつかないようなこともあった。何を言っているのか聞きとれないということもあった。しかし、僕に聞こえても聞こえなくてもそんなことは彼女にはどちらでもいいみたいだった。直子は自分の言いたいことだけを言ってしまうと、また前を向いて歩きつづけた。まあいいや、散歩には良い日和だものな、と僕は思ってあきらめた。

  しかし散歩というには直子の歩き方はいささか本格的すぎた。彼女は飯田橋で右に折れ、お堀ばたに出て、それから神保町の交差点を越えてお茶の水の坂を上り、そのまま本郷に抜けた。そして都電の線路に沿って駒込まで歩いた。ちょっとした道のりだ。駒込に着いたときには日はもう沈んでいた。穏かな春の夕碁だった。

  「ここはどこ?」と直子がふと気づいたように訊ねた。

  「駒込」と僕は言った。「知らなかったの? 我々はぐるっと伺ったんだよ」

  「どうしてこんなところに来たの?」

  「君が来たんだよ。僕はあとをついてきただけ」

  我々は駅の近くのそば屋に入って軽い食事をした。喉が乾いたので僕は一人でビールを飲んだ。注文してから食べ終るまで我々は一言もロをきかなかった。僕は歩き疲れていささかぐったりとしていたし、彼女はテーブルの上に両手を置いてまた何かを考えこんでいた。TVのニュースが今日の日曜日は行楽地はどこもいっぱいでしたと告げていた。そして我々は四ツ谷から駒込まで歩きました、と僕は思った。

  「ずいぶん体が丈夫なんだね」と僕はそばを食べ終ったあとで言った。

  「びっくりした?」

  「うん」

  「これでも中学校の頃には長距離の選手で十キロとか十五キロとか走ってたのよ。それに父親が山登りが好きだったせいで、小さい頃から日曜日になると山登りしてたの。ほら、家の裏がもう山でしょ?だから自然に足腰が丈夫になっちゃったの」

  「そうは見えないけどね」と僕は言った。

  「そうなの。みんな私のことをすごく華奢な女の子だと思うのね。でも人は見かけによらないのよ」彼女はそう言ってから付けたすように少しだけ笑った。

  「申しわけないけれど僕の方はかなりくたくただよ」

  「ごめんなさいね、一日つきあわせちゃって」

  「でも君と話ができてよかったよ。だって二人で話をしたことなんて一度もなかったものな」と僕は言ったが、何を話したのか思いだそうとしてもさっぱり思いだせなかった。

  彼女はテーブルの上の灰皿をとくに意味もなくいじりまわしていた。

  「ねえ、もしよかったら――もしあなたにとって迷惑じゃなかったらということなんだけど――私たちまた会えるかしら?もちろんこんなこと言える筋合じゃないことはよくわかっているんだけど」

  「筋合?」と僕はびっくりして言った。「筋合じゃないってどういうこと?」

  彼女は赤くなった。たぷん僕は少しびっくりしすぎたのだろう。

  「うまく説明できないのよ」と直子は弁解するように言った。彼女はトレーナー?シャツの両方の袖を肘の上までひっぱりあげ、それからまたもとに戻した。電灯がうぶ毛をきれいな黄金色に染めた。「筋合なんて言うつもりはなかったの。もっと違った風に言うつもりだったの」

  直子はテーブルに肘をついて、しばらく壁にかかったカレンダーを見ていた。そこに何か適当な表現を見つけることができるんじゃないかと期待して見ているようにも見えた。でももちろんそんなものは見つからなかった。彼女はため息をついて目を閉じ、髪どめをいじった。

  「かまわないよ」と僕は言った。「君の言おうとしてることはなんとなくわかるから。僕にもどう言えばいいのかわからないけどさ」

  「うまくしゃべることができないの」と直子は言った。「ここのところずっとそういうのがつづいてるのよ。何か言おうとしても、いつも見当ちがいな言葉しか浮かんでこないの。見当ちがいだったり、あるいは全く逆だったりね。それでそれを訂正しょうとすると、もっと余計に混乱して見当ちがいになっちゃうし、そうすると最初に自分が何を言おうとしていたのかがわからなくなっちゃうの。まるで自分の体がふたつに分かれていてね、追いかけっこをしてるみたいなそんな感じなの。まん中にすごく太い柱が建っていてね、そこのまわりをぐるぐるとまわりながら追いかけっこしているのよ。ちゃんとした言葉っていうのはいつももう一人の私が抱えていて、こっちの私は絶対にそれに追いつけないの」

  直子は顔を上げて僕の目を見つめた。

  「そういうのってわかる?」

  「多かれ少なかれそういう感じって誰にでもあるものだよ」と僕は言った。「みんな自分を表現しょうとして、でも正確に表現できなくてそれでイライラするんだ」

  僕がそう言うと、直子は少しがっかりしたみたいだった。

  「それとはまた違うの」と直子は言ったが、それ以上は何も説明しなかった。

  「会うのは全然かまわないよ」と僕は言った。「どうせ日曜日ならいつも暇でごろごろしているし、歩くのは健康にいいしね」

  我々は山手線に乗り、直子は新宿で中央線に乗りかえた。彼女は国分寺に小さなアパートを借りて暮していたのだ。

  「ねえ、私のしゃべり方って昔と少し変った?」と別れ際に直子が訊いた。

  「少し変ったような気がするね」と僕は言った。「でも何がどう変ったのかはよくわからないな。正直言って、あの頃はよく顔をあわせていたわりにあまり話をしたという記憶がないから」

  「そうね」と彼女もそれを認めた。「今度の土曜日に電話かけていいかしら?」

  「いいよ、もちろん。待っているよ」と僕は言った。

  はじめて直子に会ったのは高校二年生の春だった。彼女もやはり二年生で、ミッション系の品の良い女子校に通つていた。あまり熱心に勉強をすると「品がない」とうしろ指をさされるくらい品の良い学校だった。僕にはキズキという仲の良い友人がいて(仲が良いというよりは僕の文字どおり唯一の友人だった)、直子は彼の恋人だった。キズキと彼女とは殆んど生まれ落ちた時からの幼ななじみで、家も二百メートルとは離れていなかつた。

  多くの幼ななじみのカップルがそうであるように、彼らの閥係は非常にオーブンだったし、二人きりでいたいというような願望はそれほどは強くはないようだった。二人はしょっちゅうお互いの家を訪問しては夕食を相手の家族と一緒に食べたり、麻雀をやったりしていた。僕とダブル?デートしたことも何回かある。直子がクラス?メートの女の子をつれてきて、四人で動物園に行ったり、プールに泳ぎに行ったり、映画を観に行りたりした。でも正直なところ直子のつれてくる女の子たちは可愛くはあったけれど、僕には少々上品すぎた。僕としては多少がさつではあるけれど気楽に話ができる公立高校のクラス?メートの女の子たちの方が性にあっていた。直子のつれてくる女の子たちがその可愛いらしい頭の中でいったい何を考えているのか、僕にはさっぱり理解できなかった。たぶん彼女たちにも僕のことは理解できなかったんじゃないかと思う。

  そんなわけでキズキは僕をダブル?デートに誘うことをあきらめ、我々三人だけでどこかに出かけたり話をしたりするようになった。キズキと直子と僕の三人だった。考えてみれば変な話だが、結果的にはそれがいちばん気楽だったし、うまくいった。四人めが入ると雰囲気がいくぶんぎくしゃくした。三人でいると、それはまるで僕がゲストであり、キズキが有能なホストであり、直子がアシスタントであるTVのトーク番組みたいだった。いつもキズキが一座の中心にいたし、彼はそういうのが上手かった。キズキにはたしかに冷笑的な傾向があって他人からは傲慢だと思われることも多かったが、本質的には親切で公平な男だった。三人でいると彼は直子に対しても僕に対しても同じように公平に話しかけ、冗談を言い、誰かがつまらない思いをしないようにと気を配っていた。どちらかが長く黙っているとそちらにしゃべりかけて相手の話を上手くひきだした。そういうのを見ていると大変だろうなと思ったものだが、実際はたぶんそれほどたいしたことではなかったのだろう。彼には場の空気をその瞬間瞬間で見きわめてそれにうまく対応していける能力があった。またそれに加えて、たいして面白くもない相手の語から面白い部分をいくつもみつけていくことができるというちょっと得がたい才能を持っていた。だから彼と話をしていると、僕は自分がとても面白い人間でとても面白い人生を送っているような気になったものだった。

  もっとも彼は決して社交的な人間ではなかった。彼は学校では僕以外の誰とも仲良くはならなかった。あれほど頭が切れて座談の才のある男がどうしてその能力をもっと広い世界に向けず我我三人だけの小世界に集中させることで満足していたのか僕には理解できなかった。そしてどうして彼が僕を選んで友だちにしたのか、その理由もわからなかった。僕は一人で本を読んだり音楽を聴いたりするのが好きなどちらかというと平凡な目立たない人間で、キズキがわざわざ注目して話しかけてくるような他人に抜きんでた何かを持っているわけではなかったからだ。それでも我々はすぐに気があって仲良くなった。彼の父親は歯科医で、腕の良さと料金の高さで知られていた。

  「今度の日曜日、ダブルデートしないか?俺の彼女が女子校なんだけど、可愛い女の子つれてくるからさ」と知りあってすぐにキズキが言った。いいよ、と僕は言った。そのようにして僕と直子は出会ったのだ。

  僕とキズキと直子はそんな風に何度も一緒に時を過したものだが、それでもキズキが一度席を外して二人きりになってしまうと、僕と直子はうまく話をすることができなかった。二人ともいったい何について話せばいいのかわからなかったのだ。実際、僕と直子のあいだには共通する話題なんて何ひとつとしてなかった。だから仕方なく我々は殆んど何もしゃべらずに水を飲んだりテーブルの上のものをいじりまわしたりしていた。そしてキズキが戻ってくるのを待った。キズキが戻ってくると、また話が始まった。直子もあまりしゃべる方ではなかったし、僕もどちらかといえば自分が話すよりは相手の話を聞くのが好きというタイプだったから、彼女と二人きりになると僕としてはいささか居心地が悪かった。相性がわるいとかそういうのではなく、ただ単に話すことがないのだ。

  キズキの葬式の二週間ばかりあとで、僕と直子は一度だけ顔をあわせた。ちょっとした用事があって喫茶店で待ちあわせたのだが、用件が済んでしまうとあとはもう何も話すことはなかった。僕はいくつか話題をみつけて彼女に話しかけてみたが、話はいつも途中で途切れてしまった。それに加えて彼女のしゃべり方にはどことなく角があった。直子は僕に対してなんとなく腹を立てているように見えたが、その理由は僕にはよくわからなかった。そして僕と直子は別れ、一年後に中央線の電車でばったりと出会うまで一度も顔を合わせなかった。

  あるいは直子が僕に対して腹を立てていたのは、キズキと最後に会って話をしたのが彼女ではなく僕だったからかもしれない。こういう言い方は良くないとは思うけれど、彼女の気持はわかるような気がする。僕としてもできることならかわってあげたかったと思う。しかし結局のところそれはもう起ってしまったことなのだし、どう思ったところで仕方ない種類のことなのだ。

  第二章

  很久很久以前--其实也不过大约20年前,我住在一座学生寄宿院里。我18岁,刚上大学。对东京还一无所知,独自生活也是初次。父母放心不下,在这里给我找了间宿舍。这里一来管饭,二来生活设施也一应俱全。于是父母觉得即使一个未通世故的18岁少年,也可在此生活下去。当然也有费用方面的考虑。同一般单身生活开支相比,学生宿舍要便宜得多。因为,只要有了被褥和台灯,便无须添置什么。就我本人来说,本打算租间公寓,一个人落得逍遥自在。但想到私立大学的入学费以及每月的生活费,也就不好意思开口了。况且,住处对我原本也是无可无不可的。

  寄宿院建在东京都内风景不错的高地上,占地很大,四周围有高高的混凝土墙。进得大门,迎面矗立一棵巨大的桦树。树龄听说至少有150年。站在树下抬头仰望,只见天空被绿叶遮掩得密密实实。

  一条水泥甬道绕着这棵树迂回转过,然后再次成直线穿过中庭。中庭两侧平行坐落着两栋三层高的钢筋混凝土楼房。这是开有玻璃窗口的大型建筑,给人以似乎是由公寓改造成的监狱或由监狱改造成的公寓的印象。但绝无不洁之感,也不觉得阴暗。大敞四开的窗口传出收音机的声音。每个窗口的窗帘一律是奶黄色,属于最耐晒的颜色。

  沿甬道径直前行,正面便是双层主楼。一楼是食堂和大浴池,二楼是礼堂和几个会议室。另外不知何用,居然还有贵宾室。主楼旁边便是三栋宿舍楼,同是三层。院子很大,绿色草坪的正中有个喷水龙头,旋转不止,反射着阳光。主楼后面是棒球和足球两用的运动场和六个网球场,应有尽有。

  寄宿院唯一的问题,在于它根本上的莫名其妙。它是由以某一个极右人物为中心的一家性质不明的财团法人所经营的。其经营方针--当然是以我的眼光看-- 是相当奇特的。这点只消看一下那本寄宿指南的小册子和寄宿生守则,便可知道十之八九。"就教育之根本,在于培育于国有用之材。"此乃寄宿楼的创办精神,赞同这一精神的诸多财界人士慨然解囊……这是对外的招牌,而其内幕,便以惯用伎俩含糊其词。明确地来说,没有任何人晓得实情,称其无非是逃税对策者有之,谓其沽名钓誉者有之,说其以建寄宿舍之名而采取形同欺骗的巧妙手腕骗去这片一等地产者有之。甚至有人说其中包藏着非同小可的老谋深算。照这种说法,创办者的目的在于通过这里做过寄宿生的人在财政界建立一个地下财阀。确实,寄宿院内,有个清一色由寄宿生中的优秀分子组成的特权俱乐部,详情我自然不清楚。据说一个月总要召开几次邀请创办者参加的什么研究会。只要加入这俱乐部,将来就职便万无一失。至于这些说法中何对何错,我便无从判断了。但所有这些说法有一点却是共通的,即"反正莫名其妙"。

  不管怎样,1968年春到1970春这两年时间里,我是在这莫名其妙的寄宿院内度过的。如果有人问起何以在如此莫名其妙的地方竟然待了两年之久,我也无法回答。就日常生活这点来说,右翼也罢、左翼也罢、伪善也罢、罪恶也罢、并无多大区别。

  寄宿院内的一天是从庄严的升旗仪式开始的,当然也播放国歌。如同体育新闻中离不开进行曲一样,升国旗也少不得放国歌。升旗台在院子正中,从任何一栋寄宿楼的窗口都可看见。

  升国旗是东楼(我所住的)楼长的任务。这是个大约60岁的老年男子,高个头,目光敏锐,略微掺白的头发显得十分坚挺,晒黑的脖颈上有条长长的伤疤。据说此人出身于陆军中野学校,这也是真假莫辨。他身旁侍立一个学生,一副升旗助手的架势。这学生的事别人也不甚知晓。光脑袋,经常一身学生服,既不知其姓甚名谁,也不知其房间号码。在食堂或浴池里也从未打过照面。甚至弄不清楚他是否真是学生。不过,既然身着学生服,恐怕还得是学生才对--只能如此判断。而且此君同中野学校的那位却是截然相反:五短身材,面皮白嫩,不瘦偏肥。就是这一对令人不快至极的搭档在院子里升那太阳旗。

  住进之初,出于好奇,每天我特意在6点钟就爬起身来观看这爱国仪式。清晨6时,两人几乎与收音机的报时笛同步在院子中亮相。学生服固然是学生服加黑皮鞋,中野学校则一身夹克,脚踏运动鞋。学生服手提扁扁的桐木箱,中野学校提一台索尼牌便携式磁带收录机。中野学校把收录机放在升旗台下,学生服打开桐木箱。箱里整齐地叠放着国旗。学生服毕恭毕敬地把那旗拿给中野学校。中野学校随即给旗穿上绳索,学生服顺便按一下收录机开关。

  《君之代》

  旗一蹿一蹿地向上爬去。

  "沙砾成岩兮"--唱到这里时,旗升到旗杆中间,"遍覆青苔"音刚落,国旗便爬到了顶尖。两人随即挺胸凸肚,取立正姿势,目光直视国旗。假若晴空万里,又赶上阵风吹来,那光景便甚是了得。

  傍晚降旗,其仪式也大同小异,只是顺序与早上相反,旗一溜烟滑下,收进桐木箱中即可。晚间国旗却是不随风翻卷的。

  何以晚间非降旗不可,其缘由我无从得知。其实,纵然夜里,国家也照样存在,做工的人也照样不少。巡路工、出租车司机、酒吧女侍、值夜班的消防队、大楼警卫等--这些晚间工作的人们居然享受不到国家的庇护,我觉得委实有欠公道。不过,这也许并不足为怪,谁也不至于对此耿耿于坏。介意的大概舍我并无他人。况且,就我而言,也是姑妄想之而已,从来就没想寻根问底。

  房间的分配,原则上是一、二年级两人一房,三、四年级每人一间。两人一个的房间,有六张垫席大小,略显狭长,尽头墙上开有铝合金框窗口。窗前,背对背放着用来学习的两套桌椅,门内左侧放一架双层铁床。每件家具,其结构简单得出奇,且结实得可以。除了桌椅铁床,还有两个衣箱、一张小咖啡桌,以及直接安在墙壁上的搁物架。无论怎么爱屋及乌,都难以恭维是富有诗意的空间。差不多所有房间的搁物价上,都摆一些日用品。有收录机、吹风机、电暖瓶、电热器和用来处理速溶咖啡、袋装茶、方糖、速食面的锅和简单的餐具。石灰墙上贴着《平凡周刊》上的美人照,以及从报刊上剪下的色情电影广告画。其中也有开玩笑贴的猪交尾照片,但这是例外中的例外。一般房间贴的都是裸体照,或年轻歌手照和女演员照。桌上的小书架里排列着教科书、辞典、小说之类的。

  房间里因都是男人,大多脏得一塌糊涂。垃圾篓底沾着已经发霉生毛的桔子皮,代替烟灰缸用的空罐里烟头积了10多厘米,里面一冒烟,使用咖啡啤酒什么的随手倒进浇灭,发出令人窒息的酸味儿。碟碗则没有一个不黑糊糊的,里外沾满无名脏物。地板上散乱仍着速食面包袋、空啤酒瓶什么以及什么器皿的封盖之类。没有一个人想起过用扫帚把它们扫在一起或用垃圾铲铲倒垃圾篓里。风一吹来,灰尘便在地板上翩翩起舞,而且,每个房间都充斥一股难闻的气味。虽然气味多少有所不同,但其成分都是毫无二致:汗、体臭,加上垃圾。大家全都把要洗的东西塞到床下。没有一个人定期晾晒被褥,于是那被褥算是彻底吸足了汗水,释放出不可救药的气味。我现在还感到不可思议:在那般混浊状态中居然没有发生致命的传染病。

  不过相比之下,我的房间却干净的如同太平间,地板上纤尘不然,窗玻璃光可鉴人,卧具每周晾晒一次,前臂在笔筒内各得其所,就连窗帘每月都少不得洗涤一回,这都因为我的同室者近乎病态地爱洁成癖。我告诉别人说:"那家伙练窗帘都洗!"但谁都摇头不信。谁也不知窗帘乃常洗之物。他们认定:窗帘是半永久性垂在窗口的附件,并且说"那小子性格异常",随后又都称其为"纳粹党"或"敢死队"。

  我的房间连美人画都没贴,而代之以阿姆斯特丹运河的摄影。我贴裸体画的时候,他开口道:"我说渡边君,我,我可不大欣赏那玩艺儿哟!"然后伸手取下,以运河画取而代之。我也并非很想贴那裸体,便没表示异议。来我房间玩的人看了这运河摄影画,都问是何物,我说:"敢死队看着它手淫来着。"我本来是开玩笑说的,大伙却轻率地信以为真。由于大家信得太轻率了,连我自己不久也以为可能真有其事。

  由于我同敢死队住在一起,大家都对我表示同情,但我本人却无甚反感。只要我洁身自好,他便概不干涉。作为我,反倒有些求之不得:地板他扫,被褥他晒,垃圾他倒。要是我忙得三天没进浴池,他便嗅了嗅,劝我最好洗澡去,甚至还提醒我该去理发店剪一剪鼻毛。麻烦的是只消发现一条小虫,他就拿起杀虫剂喷雾器满屋喷洒不止。这时我只好到隔壁的混乱地带避难。

  敢死队在一间国立大学攻读地理学。

  "我嘛,是学地、地、地图的。"刚见面是他对我这样说。

  "喜欢地图?"我问。

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