ありかたでもある
ありかたでもある。「道」のこととして解釈すると、下文の「此(こ)の道を保つ者」ということばとの意味の連絡がスムーズになるであろう。「此の道を保つ者」は、もちろん最初の「善く道を為す者」と同じである。そうした人が、何ごとについても、ぎりぎりいっばいまでの十分な満足を貪(むさぼ)ったりしないことは、これまでのことばによっても明らかである。盈満(えいまん)の禍(わざわ)いをいうのは、すでに、第九章にあった「持(じ)してこれを盈(み)たすは、其(そ)の己(や)むに如(し)かず」(三ハべージ)である。ここは哲人の人生態度を述べている。「いっばいにまでなろうとはしないからこそ、だめになってもまた新たになる」というのは、いっばいになりきってしまうと再生の活力も消えてしまうという思想である。花を咲かせすぎた樹は枯れてしまう。ぎりぎりまで頂点をきわめた者は、もはや下落して二度とたち上れない。「夫(そ)れ唯(た)だ盈(み)つるを欲せず」の「欲」の字は、帛書(はくしょ)に従って補った。上の句のくりかえしである。それがよいことは、上文の「夫(そ)れ唯(た)だ識(し)るべからず」と比べれば明白である。「蔽(やぶ)れて而(しか)も新たに成る」の句は、底本では「而」が「不」になっていて意味が変わってくるが、「不」は「而」と字形が似ているために誤ったとみる易順鼎(えきじゅんてい)の説に従った。「蔽(やぶ)れて復(ま)た成る」となっているテクストも、唐代のもので何種かあり、第二十三章(旧二十二章)には「敵るれば則ち新た」ということばもある。ここは衣類のたとえでいわれていて、古くなってすりきれてしまっても、いつのまにかまた新調されているということによって、再生のカをあらわした。「蔽」は「敵」の借字(しやくじ)。破れる意味。
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