「其の下」
「其の下」となっている。もっとも劣るということ。「信足らざれば」の二句は第二十四章(旧二十三章)にもある。上の句の「信」は信義・誠実の意味であって、前後の文章との関係でいえば、無為自然なありかたをとることがつまりは誠実な態度であり、巧智(こうち)をめぐらしてわざと仕組んだ政治をするのは誠実さが足りない、ということになるであろう。「焉」の字を下の句につけて「すなわち」と読んだのは、王念孫(おうねそん)の説。ふつうは上の句につけて句末の助字(じょじ)とする。底本では「有不信」の下にも「焉」の字があるが、これも王念孫に従って除いた。帛書甲・乙本でもともに無く、上の「焉」を「案」あるいは「安」と作っている。三字は通用した。「言を貴(おも)くする」の「貴」は「重」の字と通じ、「重」に重難(はばかる)の意味があるから、「貴」の場合もそれと同じだと考えた。口が重く、むやみにおしゃべりをして人にさ
しずをしたりしないこと、第二章に「聖人は、無為(むい)の事に処(お)り、不言(ふげん)の教えを行なう」とあった。『自然」は「おのずから然(しか)り」であって、他のカに頼らずそれ自体でひとりでにそうあること。『老子』の理想とするあるがままのありかたである。人民がみずからをそのように意識するとき、『老子』の政治はついに成功をみたことになるのである。ここの句、「我れを自然と謂う」と読んで、「我れ」を老子の自称とみる説もあるが、「悠(ゆう)として」より以下は初めの「大上」をうけたものとみられるから、ここで老子自身が出てくるとするのは適合しない。人民がみな「我れは自然なり」という状況こそ、あの尭(ぎょう)の時代の「鼓腹撃壌」(こふくげきじょう)の話とぴったりである。腹鼓(はらつづみをうち足で地をうつ老人は、「日出(い)でて作(お)き、日入りて息(いこ)う。井(いど)を
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