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やむを得ずしてこれを用うるは、是(こ)れ天道なり」とある。『老子』の全体を一つ軍学の書物と考える立場も、唐代あたりから強調されてきた。もちろん、戦争技術を説くふつうの兵書ではなく、軍事哲学的な書物としてである。そこまで考えるのはゆきすぎだとしても、大きな戦争のつづく戦国末の現状のなかでのこの戦争論は、やはり深い哲学的な立場にもとづく鋭い反省として評価できるであろう。
ただこの章は、古いから、老子の原作ではなかろうと疑われてもきた(王弼は注をつけなかった) 。あまりにもぶっつけに具体的に軍事を説くことが、むしろ兵法家の文章のまぎれこみではないかと、考えさせたのである。文章の重複の多いこともその疑問を助けていて、たとえば、第二段と第三段の前半とは、第一段を解説した古い注釈であるようにもみえる。疑問は多いが、すでに帛書(はくしょ) にもふくまれているうえに、その主意も『老子』の全体にそむくものではないから、このままとする。
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