「道」が無名
「道」の本来のありかたは名づけようのないもので、たとえばまだ手を加えない材木(あらき) のように素朴そのものである。その「道」のありようを模範にして政治を行なうこと、それが成功を収まる秘訣である。それは、形跡を残さない無為(むい) 自然の政治、虚飾や偽りのない純朴な政治となるであろう。
●「道」が無名であることはすでに第一章でもいわれていた。それを「道」とよぶのは、「その名を知らない」ために、かりの字(よびな) としてつけたまでであった(第二十五章) 。「天下に能く臣とするもの莫し」というのは、臣下として服従させて、それを君主のような立場で思いのままに使うことのできる人はだれもいないということ。「樸(ぼく)」は人工の加わらない素材であるから、それを道具(臣) として使うわけにはいかないのである。つまりは、「樸(あらき)」としての「道」こそが最高の支配者だというわけである。ここの「莫能臣」の三字は、帛書(はくしょ) 乙本その他で「弗敢臣」となっている。臣下とはしないという意味になる。●「始めて制す」とは、素材がはじめて切りさかれること。「制」は「大制は割(さ) かず」のばあいと同意。その第二十八章にも「樸散ずれば器となる」とあって、ここと内容的に関係が深い(九九ページ) 。道具ができて名がつけられ、それが多くなってくると、その万物にひかれて流されないように「止(とど) まるを知る」ことが必要になるわけである。第四十四章にも、「足(た) るを知れば辱(はずか)しめられず、止まるを知れば殆(あや) うからず」とある。●「川谷(せんこく)の江海(こうかい)に於(お)けるがごとし」の句は、上の句の語順と合わせると、川谷が「道」で江海が天下をさすようにも解釈できる。ただ、第六
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