大象(たいしょう)を執
大象(たいしょう)を執(と)れば(「道」のはたらき(3))
偉大な象(かたち)—それは形象をこえた象としての「道」であるが—それをしっかり掌握(しょうあく)しているものには、世界じゅうのものがそこへと集まっていく。集まっていって何の混乱も起こらず、すべて安らかで平穏(へいおん)でゆったりと落ちつくのだ。
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音楽やごちそうとなると、通りすがりの旅人でささえ思わず足をとめるものだが、「道」のことが言葉として表現されたときには、まったく淡白(たんぱく)で味もそっけもないから、だれも気がつかない。それは、見とどけようとして目を見はってもとてもみえるほどのものではなく、聞きとろうとして耳をそばだててもとても聞こえるほどのものではない。だが、その働きは大きくて、いくら用いても用いくつせるものではないのだ。
大象(たいしょう)を執(と)れば、天下往(ゆ)く。往きて害あらず、安、平、大(泰)なり。
楽(がく)と餌(じ)とは、過客も止(とど)まる。道の言(げん)に出(い)だすは、淡乎(たんこ)として其れ味わい無し。これを視(み)るも見(み)るに足らず、これを聴くも聞くに足らず、これを用いて既(つく)(尽)すべからず。
執大象、天下往。往而不害、安平大。
楽与餌、過客止。道之出言、淡乎其無味。視之不足見、聴之不足聞、用之不可既。
*
「偉大な形象は形がない」ということばが、第四十章(旧四十一章)にはある。ふつうの形をこえたところで、惚恍(こつこう)の中にあらわれる象(かたち)である(第二十一章)。ぼんやりしてとらえど
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