大道廃(すた)れて仁義あり
「大道廃(すた)れて仁義あり。智慧出(ちえい)でて大為9たいぎ)あり」という有名なことばがあった(第十八章<六八ぺージ>)。ここもそれと同じ主旨(しゅし)である。孔子(こうし)や孟子(もうし)の唱(とな)える儒教の仁義道徳は、真実の「道」が行なわれていた古き良時代には、必要もなく、また起こりようもないものであった。無為(むい)自然な「道」のありかたが失われたために、そうした道徳が生まれた。そして、人びとは純粋素朴なその本来性から離れて、ますます堕落(だらく)してゆく。礼の強調において、それは特にはなはだしい。世俗におもねったしたり顔でうわべだけの礼儀の形を守るよりは、礼を離れ仁義の徳を棄(す)てて、「道」と一体になった「上徳」の立場にかえれという。理想的な「道」の世界は、『荘子』(そうじ)の馬蹄(ばてい)篇や胠篋(きよきょう)篇でいわれるような太古の時代に遡(さかのぼ)るとともに、また現実の汚濁(おだく)の世界の根底へと復帰することによって、得られるものであった。
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