の復帰
の復帰(ふつき)を強調した。第十四章では「無物に復帰する」ことがいわれ(五二ページ)、第二十八章では「嬰児(えいじ)に復帰し、無極(むきょく)に復帰し、樸(ぼく)に復帰す」などといわれて(九八・九九ページ)、復帰は『老子』の重要な思想である。歴史的時間的には、それは太古の素朴に帰ることでもあるが、むしろ現在の時点でおのれの立つ足もとをふりかえり、おのれ自身の生の根源としての本来性にたちもどることである。世俗の喧騒(けんそう)に踊らされている自己をひきとめて、虚(うつ)ろな静けさの奥にあるおのれのふるさとへと帰るのである。「道」との合一はそうして果たされるであろう。「常を知る」「常を知らず」のあと、「容」「公」「王」とつづぐのは、一定不変の恒常(こうじょう)な本来性をふまえると、それがとりもなおさず「道」と合一する立場につらなっているのだということを明らかにしたのである。ここに「王者」が出てくるのは、ややふさわしくないようにも思えるが、第二十五章にも「道」と天地と並べて王をあげ、「域中(いきちゅう)の四大(しだい)」とする文がある。「老子Jにおいて政治的な関心も強かったあらわれであるが、もちろん金蘭斎(きんらんさい)も「心の位なり」というように、精神的な境位をさしている。
编辑推荐:
温馨提示:因考试政策、内容不断变化与调整,长理培训网站提供的以上信息仅供参考,如有异议,请考生以权威部门公布的内容为准! (责任编辑:长理培训)
点击加载更多评论>>