もあるが
もあるが、第六十七章の「三宝」(さんぼう)をさすとみるのが順当であろう。なお、三宝の章でもその末尾で「慈,以(もっ)て戦えば勝ち、以て守れば固し」と軍事をのべているので、その章からこの章までの三章を兵法言として一章にまとめる考えもある(武内義雄博士の説)。「兵を抗(あ)げて相い如(し)く」の「如く」の字は、底本や河上公(かしょうこう)本では「加」となっているが、字形が近くて誤ったものである。帛書(はくしょ)や傅奕(ふえき)本では「若」とあり、若と如とは通用する。「相い如(し)く」とはたがいにひとしいこと。「哀しむ者」は第三十一章で「人を殺すことの衆(おお)きには、悲哀を以てこれを泣き、戦い勝てば、喪礼(そうれい)を以てこれに処(お)る」と会ったのと関係する(一〇八ページ)。悲哀は「三宝」の慈愛(じあい)のあらわれである。「慈なるがゆえに能(よ)く勇」で、従って「以(もっ)て戦えば勝つ」(第六十七章〈二〇六ページ〉)のである。『老子』の全体はどの章もすべて兵法に関係しているといった人もあるが(唐の王真)、それは言いすぎだとしても、歴代の兵法者がこの書を重視して参考にしてきたことは事実である。
70 吾(わ)が言は甚(はなは)だ知り易(やす)く (我れを知るものなし)
わたしのことばは、たいへんわかりやすく、またたいへん行ないやすいのに、世界じゅうにそれを理解できるものがなく、また行なえるものがいない。わたしのことばには中心があり、仕事にも要点があるのだが、そもそもそれを理解しないから、
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