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解放军文职招聘考试日本農業再生の道

来源: 2017-10-05 13:10

 日本農業再生の道を探る思索の旅(1) 2007/08/24

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はじめに

 日本の農業が岐路に立っている。農水省の2007年8月22日の発表によれば、日本の食料自給率は13年ぶりに40%を割り込んでしまったという(カロリーベース計算)。世界的な人口爆発が収まっていない中で、近々世界的な飢餓も心配されている。地球温暖化の影響などは全世界に及び、穀物需給のひっ迫が、いつ起こっても不思議ではない。そうなれば食料不足時代の到来だ。飢餓が日本を襲うなど、現在では誰も考えられないかもしれない。しかし石油価格同様、予測不能なことが起こるのが歴史である。

 日本では、東京一極集中が加速し続けている。もはや東京が肥大化し、神奈川、埼玉、千葉を呑み込んでしまったきらいがある。それに比して地方の農村地帯は、反対にやせ細る一方だ。高齢化と過疎化のダブルパンチで、近々消滅する村が名指しされているとも聞く。そこで自民党と農水省は、4ヘクタール以下の農家を事実上切り捨て、企業による農業参入を実施したいようだ。この自民党政府の農業政策が日本にいったい何をもたらすのか。少し時間を掛けながら、どのように日本農業は、米生産一辺倒の状況から脱却できるのか。歴史的経緯を踏まえて、日本農業の過去と未来を考えてみることにする。

1.日本の田園風景は退屈だって!?

 私はある著名な外国の文化人が、昭和30年代に東北線の車窓に流れる田園風景を「延々と同じような景色で飽きてしまった」という旨の感慨を述べているのを読み、ショックを受けたことがある。

 私からすれば、それは思いも寄らぬ発言だった。かつての東北線に現在のように、新幹線などは走っておらず、各駅に止まり、車窓から眺める日本の穀倉地帯の緑は、外国の文化人にとっても、当然美しいものに見えるに違いないと思っていた。ところが、「退屈だ。一様過ぎてつまらない」と言わんばかりの言いようである。要は私の「日本の田園風景は美しい」というイメージは、ひとりよがりな思いこみだったということになる。

 そこから私の思考は始まった。問題は、東北全体が、どのような歴史を辿って、一様な印象の田園風景になってしまったかだ。もしかすると、日本の農業問題が、この一様に見えてしまう東北の田園風景の中に凝縮しているのかもしれないとさえ思った……。

2.一様な田園風景が象徴するもの

 思えば、日本の農業の中心は、米である。日本人特有の創意工夫によって、美味い米とされるササニシキ、コシヒカリ、ひとめぼれ、あきたこまちなど、ブランド米と呼ばれる米が開発され、天候に左右されない生産技術も年々進歩した。しかし米は、皮肉にも、日本人の間で、食生活が欧米化したことなどもあり、1970年代以後、毎年毎年、米農家は、豊作貧乏という煽りをくらっている。

 戦後、日本有数の圧力団体となった農業協同組合とその連合会(JA)は、全国の農業従事者を囲い込んで、その圧倒的な与党自民党への政治的影響力を行使して、自民党一党支配を支える見返りとして、米価を一定の水準で買い支え、市場原理を働かせぬままに、農家を手厚く保護する政策立案に深く関わってきた。先進国の農業は、欧米でも程度の差はこそあれ、保護政策は仕方のない側面もある。だが日本の場合は、米一辺倒の農業からの脱却が不可避であったにもかかわらず、間違った農政をここまで牽引してきた罪は自民党や農水省官僚と同罪である。

 本来であれば、米相場というものが正しく機能していたならば、もっと日本の農業はその地方に見合った形で、発展していたはずである。しかし農水省の中央集権的な官僚とJAの圧力に押される自民党は、その場しのぎの場当たり的な農業政策を推し進めて、あるべき日本農業の新展開を、圧し殺してきたのである。

 東北大学名誉教授で歴史家の高橋富雄氏(1921~)は、昭和48年(1973)に上梓した『東北の歴史開発』(山川出版社)で次のような提言をしている。

 「東北地方における水田農業は、転換さえ無理なく行われるならば、かなりの規模まで縮小することが望ましい。従来はそれに代わる高率産業が保障されなかったために、かなり無理をおして水田が拡大されたきらいがあるのである。東北でも、全体的展望のもとに、米つくりは必要にしてかつ十分なだけの規模に適正化され、その他の部分は、新しい産業ないし労働へ無理なく転換することが、是非必要である。そこでは、新企業が農家人口を農業を本業としたまま、第二本業のようにこれを雇用し、農業は主婦と老人だけにかかされるようなことは許されない」(前掲書 376頁)

 私はこの碩学?高橋富雄氏の意見に基本的に賛成である。ただ一点、東北を「後進地帯」という概念で見ているが、これには異論がある。

 後進性について、高橋氏は、このように言う。

 「いわゆる後進地域というのは、山陰とか南四国とか南九州とかいうようなものとかいうところについても言われる。しかし国家的規模で、その涯知れない奥行きとひろがりとが問題になるような後進地域は、東北北海道をおいて、他にない。関東以西の先進日本を、そっくりそのまま移行できるだけの収容力を、この地域は持っているのである」(前掲書 369頁)

 後進性は英語で言えば、「Backwardness」で、「後進地帯性が強い地帯」との意味である。私は東北をそのようには考えない。それは明治以降に偏見に基づいて作られた東北のイメージであって、そのような偏見にそって、己の故郷を「後進地域」と規定する感性を私は持っていない。したがって「後進性」という言葉を使用するのは不適切ではないかと感じるのである。

 明治以前、伊達藩の米は、大都市江戸の過半数を占めるほどの力があった。都市仙台の繁栄は、伊達藩が行った大胆な灌漑などの先見性のある農業戦略によってもたらされたものである。日本三景の松島という景勝地がある。そこにある古刹?瑞巌寺の荘厳は、栗原の米の財力によって建設されたと言われている。もちろん東北も一様ではなかった。それでも東北の各藩は競い合いながら、独自の教育制度を持ち藩校を作り、特産物を作り上げていたのである。

 明治以降、廃藩置県によって分権思想は排除され、結局地域特性を無視した一様な農業政策が、今日まで延々と100年以上推し進められてきたことになる。冒頭で指摘したように、外国人にしてみれば、一様にしか見えぬ東北の田園風景は、明治以降の中央集権的な農政によってもたらされたひとつの象徴という言い方もできる。早い話が、伊達藩の米生産の成功例を日本中が真似をすれば、米がだぶつくのは当たり前である。

 このように結局、100年の歴史的スパンで見るならば、明治維新によるこの分権的発想の否定(明治新政府による中央集権的発想)が、日本農業全体を「後進的」な産業に落とし込めてしまったものである。

 また戦後において、日本農業は、GHQの指令により農地開放(1947-50)という大改革を行ったのであるが、つまるところ、政府による農業政策は、「政策」というよりは政治的妥協の産物以上のものではなかった。つまり自民党-農水省-JAが、三頭立ての馬車のようにして、将来展望もないまま政治的妥協を繰り返し、現在のような抜き差しならぬ泥沼にはまり込んだものと解すべきである。

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