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解放军文职招聘考试終戦記念日に思う

来源: 2017-10-05 13:38

 終戦記念日に思う 2007/08/16

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 62年前の8月15日正午、天皇の玉音放送によって日本の15年にわたる戦争の終結が伝えられた。真夏のかんかん照りの下、雑音だらけのラジオ放送を息を潜めて聞いた当時の人びとの気持ちはどんなものだったか。17分間の放送の間、何を思ったろう。はじめて聞く天皇の声。独特のイントネーション。難しい漢語。驚きだけで、理解できない人も多かったという。

 ポツダム宣言受諾によって日本は、敗戦を迎えた。日本は負けた。しかし、多くの国民にとってそれは、勝ち負けより、とにかく戦争の終わりであったに違いない。

 アジア太平洋地域における戦争による各国死者数1900万人超。日本人死者数310万人。終戦の年、1945年だけで50万人を越える日本国民(非戦闘員)が犠牲になった。なぜ、もう少し早く終わりに出来なかったのだろう。いや、こんな愚かな事を始めてしまった事をこそ悔やむべきだ。

 甲子園では高校野球まっさかり。

 どこからか「千の風になって」が流れてきた。

 ?私のお墓の前で泣かないでください。そこに私はいません 眠ってなんかいません。

 その歌詞は、今日は特別の意味をもって心に重くのしかかる。

 戦後62年、いまだ総括できていない。

 

白泉村での出来事~「祖父たちの戦争体験」を聞く 2007/08/15

金井貞直氏の語り(18分01秒)

  その作戦を「三光作戦」という。「殺しつくし?奪いつくし?焼きつくす」、日中戦争の際、中国で日本軍が展開した軍事行動だ。一般市民の暮らす静かな村落が、ある日突然襲撃され、家畜は奪われ、家々は焼かれ、逃げ送れた人々は殺され、後には焦土だけが残った。

 当時「日本軍に入られたら、もはやその村は2~30年は立ち直ることができない。」と言われた、徹底した略奪だったという。この作戦に参加した元日本兵?金井貞直さん(87)の体験を聞いた。

 今年6月、東京?神宮前公民館で開催された「アジア?フォーラム2007『祖父たちの戦争』」(主催:アジア?フォーラム東京?三多摩実行委員会)で、元日本陸軍中尉?金井貞直さん(87歳)が自らの戦争体験を語った。雨天にもかかわらず学生、社会人、お年寄りなど様々な参加者が訪れ、金井さんの語る戦場での加害者としての生々しい体験に耳を傾けた。

 金井さんは、大正8年(1919年)生まれ、昭和15年(1940年)、召集され、満州へ、その後、幹部候補生として予備士官学校を経て、昭和17年(1942年)、支那方面軍?第59師団?機関銃中隊?中隊長となって、中国山東省方面での作戦に従事した。この日、金井さんが語ってくれたのは、1943年2月の払暁、山東省の白泉という村を襲撃した際の出来事だった。

 村に入ると、既にもぬけの殻だった。日本兵は、腹立ち紛れに民家に火をつけ、家畜などを略奪しはじめた。金井さんが一軒の民家に入ると、中には春節の祝いがきれいに飾りつけされてあった。

 どこに隠れていたのか、1人の老婆が物影から出てきた。ちょうど自分の母親を二重写しにしたような年恰好、身奇麗にこざっぱりと身なりを整え、纏足した足に小さな白い靴を履いて出てきた老婆は、何事か金井さんに訴えかけてきた。

 通訳させると「もうすぐ息子が春節の祝いで嫁になる娘を連れて帰ってくる、この飾りはその息子夫婦の結婚式の祝いのためのものだから、どうか、この家だけは焼かないで欲しい」と懇願しているという。

 

 金井さんの腕にすがりつき、必死に軍刀をゆさぶって「他のものはかまわないから、家だけは焼かないで」と哀願しつづける老婆。だが、「軍刀が穢れる!」と逆上した金井さんは、老婆を蹴倒し、傍らの部下に「撃て!」と命じて銃殺させた。白い靴が宙を舞い、仰向けに倒れた老婆は、撃った部下ではなく、撃てと命じた金井さんを物凄い形相で睨みながら息絶えた。

 

 

 白泉村での出来事を語る金井さん 静まり返った会場からはすすり泣く声も…時に声を詰まらせて、また、時に感情を抑え切れないかのように声を高ぶらせて堰を切ったように語る金井さん。「あのとき、自分は人間ではなく鬼になっていた」それに対して、老婆の目は「人間だ! 人間の叫びなんだ、人間の抗議だった」としぼり出すような声でふり返る。「生半可な私は、本当に心のこもった人間の叫びに、ただただ、たじろぎ逆上し、そして撃ち殺してしまった…」金井さんは、今でも、そのときの身奇麗な老婆の姿と、自分を睨みつけた目が忘れられないという。

 後に帰国した金井さんは、自分の母親が亡くなったことを知らされた。あのときの老婆の姿が、母の面影と重なった。まるで自分の母親が「人間ならそんなことをするんじゃないよ」とわが子に叱責していたかのように思われ、あらためて自責の念に苛まれたという。

 終戦後、ソビエト軍の捕虜となり、シベリヤに強制連行された金井さんは、1950年(昭和25年)中国側に引き渡され、撫順戦犯管理所に6年間収監された。看守の中には親兄弟を日本軍に殺された者もいた。殴ろうと思えば殴れる距離、唾を吐きかけようと思えばできる面前に、元日本兵が戦犯としているにもかかわらず、彼らは節度を持って接し、自分たちよりも上質の食事を与えてくれたという。それは、当時周恩来首相の「戦犯であっても人間であり、人格を守れ」との指導があったとはいえ、新生中国の人々の理想を示すものであった。撫順での6年間で、金井さんは人の心を取り戻したという。帰国後、日本兵の加害体験を語り伝える活動を続けている。

 語り終えた金井さんは、最後に厳しい語調でこう締めくくった。「自分たちが育った日本と、今また安倍内閣が行なっている諸施策が、だんだん似てきてる。それを痛切に感じるわけであります。昔のことを知っているだけに、やり方が悪辣だということをなお感ずるわけです。もう私たちは、晩年になりましたけども、こんなに乱れた世の中、こんなに無策の政治、こんなに露骨な後戻りの政治、これはもう見るに耐えない。本当になんとかしなければと思いながらも、どうにもできないもどかしさに、今苦しんでいるところでございます。」

 その声は人間としての憤りに満ちていた。

 

 

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